千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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法話

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大本山永平寺の旅所感 平成29年10月

11月4日から大本山永平寺に2泊3日の団参に行ってまいりました。
4日早朝にバスで館山を出発して一路永平寺を目指し、4時前に入山し、DVD視聴や法話での研修、翌朝は3時起床で坐禅と拝観、大本堂での先祖供養の法要等を終え、団員29名一同霊験あらたかな気持ちで下山しました。

次のお参りは伊勢神宮です。
伊勢鳥羽までは長距離でしたが、本山での“修行“の解放感からか、バスの中では早速盛り上がり、まさに宴会状態になりました。
お伊勢さまをお参りしてホテルに到着、その夜の宴会もさらに盛り上がり、これも本山での研修の“御利益”なのかと思いました。

若い修行僧のキビキビした動作を目の当たりにし、厳しい修行の現実を体感し、法話や実際の坐禅体験や質素な食事や作法を通して、たった一泊での研修でしたが、「良い経験をさせていただきました」という正直な言葉を何度も聞きました。

一年ほど前から計画した旅でしたが、当初は参加者もなかなか集まらず中止も考えた程ですが、総代さん達の励ましでなんとか実行できたことに感謝いたします。

バスの中で拙僧自身の修行時代のエピソードなどを話しましたので、それを少し綴ってみたいと思います。
本山は朝が早く行事に追われ、緊張感から一日がとても長く感じられるのです。
若い時の経験は忘れないものです。
厳しかったことや悔しかったことはいろいろありますが、その中で感じたことの一つに、人間の体の対応能力があります。

朝食は粥と胡麻塩とたくあんのみです。
昼食は粥がご飯になり、みそ汁と野菜の料理が一品、いわゆる一汁一菜です
夕食になると一菜が二菜になるだけです。
団員の皆さんは出された料理の質素さに驚きますが、実はそれでも修行僧の食事と比べたら大変な“ご馳走”なのです。

修行で上山する前に言われたことは「脚気になるけど気にするな、必ず治るから」でした。
確かに間もなく脚気の症状が現れました。脛を押すと、ペコット凹むのです
しかし、他に体に特に異常を感じることはありませんでした。

ただ、質素な食事のためか、何時も空腹感がありました。カロリー不足からでしょう。
食事は、粥やご飯はおかわりできますが、2回までです。
全員が一斉に食べ始め、終わるのも同時でなければなりませんので、遅れないように必死で食べました。

本山では基本的には自分の居場所は僧堂のなかの畳一畳だけです。
そこで坐禅をし、食事をし、そして寝るのです。
普段行事の合間は看読寮という大部屋に控えています。
そこでの居場所は序列が決まっています。それは上山した順です。
年齢も学歴もまったく関係のない縦の世界です。

そんな環境の中で、自分一人になる場所などありませんが、一つだけあります。
それは東司(トイレ)です。
ある時何かのことで、個人的に差し入れに羊羹をいただいたことがありました。
しかし、大部屋のなかで自分だけが何かを食べることなんてとてもできません。

ですから、もし何かをこっそり一人で食べるには場所はトイレしかないのです。
普段から空腹感があるといいましたが、一本の羊羹をまさにバナナのように食べられました。
今では羊羹など一切れ食べるのがやっとですが、当時は普段からそれほどカロリー不足だったのでしょう。

話しついでにもう一つお話ししますと、看読寮の修行僧には日替わりの配役がありますが、その中で直堂(じきどう)という、いわば学校でいう日直のような当番があります。
その直堂には当番と加番と毎日2人づつ日替わりで当てられます。

全員が法堂(はっとう)に朝の勤行に行っている間、留守番と各部屋の掃除をします。
そんな中、ある役寮さんの部屋を掃除していたら、一つの壺が目に留まりました。
興味本位に蓋を開けてみると、白い塊のような物が入っています。

悪いことだと思いながらそれをちょっと舐めてみたら、なんと砂糖だったのです。
とっさにその塊の数個を口に頬張ってしまいました。
あとでその行為がバレはしないか心配しましたが、何もなくホットしました。

一度きりのことですが忘れもしません。
それだけ低血糖で飢えていたのでしょう。
でも、多分その部屋の役寮さん自身も普段の空腹感に備えてのモノだったのではないのかと、あとあとそう思いました。

さて、話は戻りますが、しばらくしたら言われた通り脚気の症状が無くなりました。
考えてみるに、人の体というものは、食べた物の量が少なければそれなりにそれを最大限に活用する能力があるのだろうということです。

何かの本で読んだ記憶がありますが、禅僧の修行道場での食事の内容について某大学がその栄養価について調査した結果、栄養学的にはとても不足していて、栄養失調にならないのが不思議だといった記事がありましたが、まさに人の体には学問的な理屈を越えた潜在的な能力があるのではないでしょうか。

以前、法話のなかで、「人類は十数万年もの間、飢えと寒さへの対応能力を身に着けてきたが、その反対に食べ過ぎに対する能力は身に着けられなかった。人が満足に食べられるようになったのは極最近のここ100年程のことである。そんなことから起こる現代病の代表格が糖尿病である」といったことを述べたことがあります。

全くの私見ですが、本山や修行道場での食事が栄養不足といわれるなか、空腹感に苛まれながらも、脚気の症状がなくなったり、栄養失調症にならずに修行に耐えられるのも、そんな人類が太古から身に着けてきた対応能力によるものではないでしょうか。

「ここは娑婆じゃないんだ」という言葉を何度聞いたことか。
全てが理屈抜きの世界であり、先輩から言われたことは「命令」であり、「上官の命令は天皇陛下の命令」だという、日本軍隊に似た感じがありました。

ある役寮さんから聞いた話で今でも覚えていますが、明治時代日本が欧米の列強国に劣らない軍隊を作るのにモデルにしたのが禅宗の修行道場の制度だったというのです。
なるほど、そういえば先輩の修行僧のことを「古参」と言いますが、軍隊でも先輩のことを「古参兵」と呼んでいます。

永平寺にはこれまで常に200人もの修行僧がいたそうですが、このごろではその数も減り130人程だそうです。
これも少子化によるものだとのことです。
普段から多忙な上に修行僧が少ないということは、一人一人に課せられる任務や負担が増すので修行僧も大変です。

確かに日本の少子高齢社会の影響は坊さんの世界にまで及んでいるのが実態です。
事実、後継者のいない寺院が増えたり寺院の合併や解散も進んでいます。
これは他人事ではなく、拙僧自身後継者不足で悩んでいます。
どなたか道心のある方がいたら自他薦を問わずご紹介ください。

ところで、他方修行道場には外国籍の修行僧が増えているのも実態です。
宗教には国境がありませんし、宗教は人を選びません。
確かに仏教の開祖の仏陀も、禅の達磨大師もインド人です。
仏教・禅も日本人の特権ではないことを時代の流れは表しています。

仏教・禅を求めて日本に入ってくる人も増えていますが、その逆に日本から諸外国への布教の波も実は拡散しているのです。
この現象は全ての宗派にいえることですが、曹洞宗も、海外特別寺院や布教センターが、ハワイに10ヶ所、北アメリカ52カ所、南アメリカ14ヶ所そしてヨーロッパには45ヶ所、都合120ヶ所ほどにもなるのです。

そんな中の一つ、ブラジル・サンパウロ市にある曹洞宗両大本山南米別院仏心寺から先日寺報が届きました。
その仏心寺住職采川道昭(さいかわどうしょう)老師の挨拶文の中の「禅の二元論」がとても分かりやすいと思いました。次回はそれについてご紹介しましょう。

合掌

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