千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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駆け込み寺

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平成24年4月1日 男性からのご相談

二年ほど前から、上座部仏教を実践しています。
上座部仏教の僧侶と接するうちに、今の日本の僧侶の堕落、怠慢(ご住職のことではありません)が目につくようになり、イライラしてしまいます。

妻帯、飲酒、豪遊、贅沢な暮らし、在家が守るべき五戒すら守っていない、そのような人間が、僧と名乗り、人々に偉そうに説法する。
それが私には理解できないのです。
ブッダの教えを守る気が無いのなら何故、僧侶となるのかなと。
日本には多くの宗派がありますが、ブッダの教えに反することは無いはずです。

今の大部分の日本の僧侶は、本当の出家では無くて、非僧非俗の状態だと思います。
そう潔く認めて活動していけばすっきりすると思います。
そして本当にブッダの教えを守ることを決意して修業するものだけを僧と認めれば良いと思います。
この様にすれば日本の仏教界も良いものになると思います。

長々と、愚痴を書いてしまいました。すいません。
今私を、イライラさせ悩まさせているのは、この様な日本の僧の現状です。
ブッダならこんなことでは悩んだりしないはずです。
どうすればブッダのようになれるのでしょうか。
よろしくお願いいたし ます。

西光寺住職です

率直なご意見ありがとうございます。
おっしゃる通り、今の日本の僧侶の大方は在家と同じような生活をしていて、「出家」とはとても言えないのが実態です。
私自身もそんないわゆる生臭坊主の"完成品"であるかも知れません。

はじめにちょっと言い訳をさせてください。
拙僧の考えるに、このような状況になった原因は、まず日本の仏教文化と檀家制度にあったと思われます。

江戸時代、幕府はキリシタン対策として民衆を監視するために誰でもどこかの寺の檀家になることを義務付けました。
それにより寺院に戸籍を管理させたのです。檀家制度のはじまりです。
檀家という"固定客"に庇護された寺院は、以後"経営"的には楽になりました。
住職として居座ってさえいればよかったからです。

さらに明治時代になって僧侶の独身主義が非現実的であるとして、「肉食妻帯勝手たるべし」の政令が出されました。
「葷酒山門に入るを許さず」や"独身主義"も有名無実化されていたからです。
実際門前に内縁を囲っていた例も少なからずあったようです。

そうした堕落の原因はおそらく檀家制度がもたらした意識低下かもしれませんし、さらには日本人特有の建前文化も要因だったと言えるかもしれません。
いずれにせよ肉食・妻帯の自由化宣布は寺院の環境を更に大きく変えた原因となりました。

僧侶に家族が出来れば「住職」が"世襲≠ノなることは当然の成り行きです。
師弟関係が親子関係に変わったことで在家化は一層進みました。
一大決意して「出家」した者と比べれば世襲住職のモティベーションは当然上がりません。
親から受け継いだ"家業"の資格をとるため本山にいくということになるのですから。

更に言えば日本独特の仏教文化です。
家に仏壇があり、お寺にお墓があり、お盆やお彼岸にお参りする昔からの風習が 独特の文化を形成してきました。
「文化」ですから本人に特定の主張が無い限り、葬儀は仏式が当然になります。

葬儀は人にとって一大行事ですから僧侶の役割は重大です。
ただし、坊さんに対してのこだわりはあまり無く、どんな坊さんでも良いということが更なる"特徴"かもしれません。
それは坊さんには葬儀以外の期待はしていないということです。残念ながら。

葬儀さえきちんとしてくれる坊さんでありさえすれば一般的にはそれで十分なのです。
そんな葬儀文化のお陰で寺院の務めは主として葬儀・法事を"生業"としたものになっていったのです。

出家主義の者から見たら確かに大きな堕落かもしれません。
僧侶であるからには独身を宗とし、質素に徹すべきでしょう。
事実日本以外の国の僧侶は見事出家主義を貫いているようです。
日本の僧侶もそうあるべきであり、イヤなら僧侶になるべきではないというのが当然のご意見でしょう。
しかし、日本の場合、ことさら左様なる特有の事情と経緯を考慮して欲しいのです。

在家化されている寺院の現実を考えると、本来の厳格な戒律生活を求めるのは所詮無理でしょう。
自らの発心で出家した者は実に少数なのです。
僧侶としての自覚意識の低いのも当然なのです。
甘いかも知れませんが「職業僧侶」と思っていただくしかありません。
そう割り切らないと真面目で実直なあなたのストレスは無くならないと思います。

どんな欠点のある人でも菩薩は絶対に否定しません。見捨てません。
どんな人でも尊重し、共に生きようとするのが菩薩です。
それが仏陀の教える仏道です。

合掌

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