千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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仏教講座

仏教講座

観音経 --その1--

はじめに

日本人に最もよく知られ、親しく読まれているのは、言うまでもなく「般若心経」とこの「観音経」でしょう。
実はこの二つとも「観音様」のお経なのです。
同じ観音様のお経なんですが、全く対照的な教典なのです。

「般若心経」は仏教の深遠な哲理を述べた哲学的な教典と言えるでしょう。
それとは対照的にこの「観音経」は大変情緒的即応的な内容になっています。
どんな困難や苦難に直面しても、「南無観世音菩薩」と一心に称名すれば、たちまち観音様が現れて救ってくださるという。その喩えとしての「奇蹟」の例が幾つも説かれています。
即物的でありまさに「現世利益」を説いたお経といわれる所以です。

確かにお経の語意をそのままを受け止めるだけだとしたらこれほど分かり易いお経は無いかもしれません。
しかし、この観音経はほんとうにそんな単純な解釈で良いものでしょうか。
いやいや、一見単純とも思えるこのお経には実は深い理釈があるのです。
「理釈」とは語意の奥を読み取るということです。
その意味するところこそこのお経のアイデンティティなのです。

まず、このお経のポイントを申し上げましょう。それはまさに「疑問」にあるということです。
(1) 観音さまはほんとうにいらっしゃるのかということ。
(2) そして、ほんとうに奇蹟を起こして救ってくださるのかということ。
この二つの"疑問"がこのお経のキー(鍵)になっています。
ですから、この鍵が開かれてこそこのお経がほんとうに理解できるのです。
言い換えれば、この観音経はこの"疑問"を透過することで「観音さま」と「奇蹟」の実体が解明されるのです。

その「解明」こそ「悟り」によるものです。
つまり結論から申せばこの観音経は決して現世利益を説いたものではなくまさに「悟り」を目指したお経だと言えるのです。
ですから、悟ることにより「観音さま」と「奇蹟」が証明されズバリすべての「疑問」が解けるのです。

そこでお釈迦さまは巧みな方便を駆使して"観音劇場"を仕組まれたのです。
この劇場は、衆生の一人一人が、つまりあなた自身が"観音さま"になるための"劇場"なのです。
そしてあなた自身が観音さまだと認識できた時に、この劇場が劇場ではなく現実の世界だとわかるのです。まさに「奇蹟」が起こった瞬間です。

これら愚僧の解説は他に見られない持論、(珍論、愚論?)と言われるかも知れませんが、わたしにとっては正論だと認識し自負しております。
どうかご用とお急ぎでない方には是非この講座を看ていただき、ほんとうの観音さまの実体を知っていただきたいと思います。
そしたらきっと新しい世界が開ける筈です。
それではこれから22回に亘って「観音劇場」を開演致します。乞うご期待。

妙法蓮華経観世音菩薩普門品 第二十五
爾時。無尽意菩薩。即従座起。偏袒右肩。合掌向仏而作是言。
世尊。観世音菩薩。以何因縁。名観世音。
仏告無尽意菩薩。善男子若有無量。百千万億衆生。受諸苦悩。
聞是観世音菩薩。一心称名。観世音菩薩。即時観其音声。皆得解脱。
爾(そ)の時に、無尽意菩薩即ち座より起ちて、偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだぬ)ぎ、合掌して仏に向かって是の言(ことば)を作(な)す。
「世尊よ、観世音菩薩は何の因縁を以て観世音と名づくるや」と。
仏、無尽意菩薩に告げて曰く、「善 男子、もし無量百千万億の衆生あって、諸々の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、一心に称名せば、観世音菩薩、即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得ん」と。

「そのときに」、のその時とはお釈迦様の在世の時の、これから説法を行うとする「その時」であり、同時に今のあなたが応身仏であるところのお釈迦様に対してこれから質問に立とうとしているまさに「今、現在」ということです。
無尽意菩薩とは修行中のあなた方を代表している菩薩ということです。
無尽意菩薩とは、「衆生を済度しようとする尽きることのない強い意志を持った菩薩」ということです。

「無尽意菩薩は即ち座より起ちて、偏に右の肩を袒ぎ、合掌して仏に向かって是の言葉を作す。」 「偏に右の肩を袒(はだぬ)ぎ」とは、インドの礼儀作法を表すもので最高の敬礼なのです。
尊いお方の御前での敬意の作法なのです。
左の肩は「定(じょう)」をあらわし、右肩は「智慧(ちえ)」を表すとされます。
僧が袈裟をかける時右の肩をあらわすのはこの慣わしによるものです。

あなた方を代表する無尽意菩薩は合掌してお釈迦様に向かい奉り質問します。
「世尊よ、観世音菩薩は何の因縁を以てか観世音と名ずくや」 無尽意菩薩はもとより分かっていたのですが、大衆に代わり質問したのです。

「仏、無尽意菩薩に告げて曰く、」世尊は無尽意菩薩に申しました。
「善男子、もし無量百千万億の衆生あって、諸々の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて、一心に称名せば、観世音菩薩、即時に其の音声を観じて、皆解脱することを得ん。」

無量百千万億の衆生とはあらゆる全ての生けとし生けるもの、命あるものを指します。
その衆生、とりわけ人間ですが色々な苦悩を受けています。
「一切皆苦」が人生そのものですから当たり前の現実なのです。
そんな中、特に現実の苦しみから救われたいと願うならば、心から自己の全存在をかけて至誠にその御名を称えなさいということです。
観世音菩薩はその声を観じて、その衆生を助けに来て下さるのであるとお釈迦さまは申されました。

私はこの観音経の主旨はここに集約されていると思うのです。
至誠に称えるということは、まず完全信服でなければなりません。
完全に信ずるということが絶対条件なんです。
全身全霊命を投げ出して称名すれば必ず観世音菩薩が現れてくるのです。

一心称名し感応道交すれば間違いなく観世音菩薩が「即時に」あなたの前に現れます。
イヤ、あなたの前ではなくあなた自身の中に入り込みます。
観世音菩薩とあなたが一体になった瞬間です。それが「解脱することを得ん」なのです。

救われるということは、あなた自身が化身仏の観音菩薩になりきった時なのです。
この観音経の主旨が初めに明示されていると言って良いでしょう。

合掌

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