水子供養のご案内
はじめに
当山では、もとより正しい仏教の布教につとめておるところでありますが、その一つに水子供養に対する正しい認識の必要性があります。
それは、水子といいますと何か少し退いたマイナスイメージの印象を持つ人が多いからです。
何か後ろめたい気持ちや疎ましい感情があったとしたら、それは間違いなく誤解によるものです。
「水子くらい」だとか「水子など」とかの認識は明らかに間違っています。
その誤った認識が正されない限り水子の精霊も親の心も救われません。
水子もご先祖も全く同じ仏さまです。
同じ仏さまですから差別や偏見があってはならないのです。
仏の世界こそ絶対平等の絶対円満な世界なのですから。
しっかりした認識がないと"妄言"や"迷信"に惑わされたりします。
良からぬ輩に心の隙を突かれるからです。
しっかりした認識はしっかりした供養によってもたらされるのです。
"しっかりした供養"とは供養する者と供養される者との和合です。
それは自己と他己の仏性の和合であり、双方が同時に涅槃に入ることです。
しっかりした供養は涅槃の現成によってのみ円成するのです。
ご先祖さまの仏性も水子の仏性もまったく同じ仏性です。
同じ仏さまですから同じ想いで供養があってしかるべきです。
水子供養とは決して親自身の浄めのためでも、水子との縁切りのためでもありません。
当然"葬り去る"ものでもありません。
水子は決して不浄のものではないという、まずその認識が極めて重要です。
水子は出生できる縁が薄かっただけであって親子の縁が無かった訳ではないのです。
親子の縁は永遠の過去に始まって永遠の未来に向かって続いているものです。
ですから水子の縁はご先祖さまと同様切っても切れるものではありません。
冥福を祈るとは、改めて親子の契りを確認し合うことです。
そのこと無くして親の安心も水子の成仏もありません。
お互いが永遠に護り合える祈りこそ"しっかりした供養"なのです。
その意味でも供養とは正に新たな出発なのです。
もし今あなたが供養について迷われているとしたら、それは水子の精霊とあなたの心が「和合」を求め合っている証拠です。
どうぞしっかりした供養で水子もあなたも共にしかりした安心を得てください。
水子の精霊が安心したかどうかは必ず親の心となって表れます。
きっと当山の確かな供養で確かな安心を得ることができるでしょう。
直接お詣り頂いても結構です。まずはメールなりお電話にてお問い合わせください。