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あなたの悩みを聞かせてください

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平成20年1月14日 宮城県 30代女性からのご相談

はじめて、メールでご相談させていただきます。
自分は、観音様をおまつりしていて、観音様のお力で、日々ご先祖様のご供養をさせていただいています。
観音様をおまつりしている事を許して下さる方と、ご縁をいただき、結婚いたしました。

しかし、主人のご実家(姑さんやご兄弟)ご親戚の方、こちらの地方の方々、皆様が、「観音様は怖い」など、恐ろしいから、返しなさいと、観音様の事をひどく言われます。
子供にも冷たくあたられてしまいます。
しかし、自分の人生から、観音様をお返しするなど、考えられません。
「私から観音様を取り上げないで」といつも、心の中で叫んでいます。
これは、自分の試練だと思い、頑張っていますが、とても辛いです。
どうしたらよいのでしょうか。
また、頑張っていたら、いつの日か、わかって下さる日は訪れるのでしょうか、教えてください。

西光寺住職です

観音様をお祀りしてご先祖様のご供養と日々の幸せを願っているというあなたはすばらしいお方です。

人は皆それぞれ一人一人弱い存在です。
また、人である以上、生きている以上、必ず困難にぶつかるのが人間の宿命です。
困難にぶつかり、迷ったり、苦しんだり、悲しんだりするのは当然なのです。
だからこそ人には心の支えが必要なのです。心を護る術(すべ)が必要なのです。

その術こそが「信仰」なのです。
人にはしっかりとした信仰こそ絶対に必要なことだと私は思います。
信仰は心の羅針盤です。常に正しい方向を教えてくれる人生の羅針盤なのです。
人は正しい方向が分らなくなるから道を誤るのです。

今の世の中を見るとヒドイ犯罪がどんどん増えています。
特に身内関係者による殺人、暴力が犯罪の内の4割にもなるそうです。
何ということでしょう。何より人の心が荒んでいる証拠です。

心が荒むのは心の救いが無いからです。
心が救われないから理性も情も無くなるのです。
問題や犯罪を起こす人たちは理性も情も無くなった結果です。

今こそ、人には「信仰」という人生の羅針盤が必要とされています。
正しい信仰・・・それは幾つもあるでしょうが、その一つが観音信仰です。
その信仰を持っているあなたはすばらしい人に違いありません。

観音様とはどんな人でも信じる人を救ってくださるのです。
直接姿を現し、語るということはないでしょう。
しかし、心を通して人生の羅針盤を与えてくれます。
それにより、的確な思考力と判断力を得ることができるのです。

さて、それにしても、折角ご理解あるご主人とご結婚されたにも拘らず、その親族の理解がないと言うのは残念なことですね。
「観音様は怖い」とはどうゆうことでしょうか。
特異な宗教の信者ならともかく、一般的な日本人なら普通観音様に対してあまりマイナスイメージは無いと思います。
ご家族の内の一人や二人が特に変わり者であるならばともかく、家族や親戚、その子供達までがあなたの行動を問題だとしているのが私には理解できません。

あと私の考えられることでは、あなたの信仰の姿が特別な印象を与えてはいないかということです。
明けても暮れてもただただ「観音様」中心の生活イメージを与えてはいないかということです。
特に宗教に関心のない人は過剰な印象を受けることがありますので、その点をご確認ください。

信仰の姿は他人には様々の印象を与えます。感動もあれば不快もあります。
信仰は個人の問題だけに、車中の携帯電話と同じでまわりに配慮する必要もあるでしょう。
もし、周りに配慮できない感覚であればその人は特異な信仰の世界に陥っている可能性があります。

特異な信仰の世界とは、良識や常識の範疇を逸脱した、虚偽や妄想や誤解によって陥る邪教の世界のことです。
今の世の中、宗教を語る犯罪もたくさんありますから十分に注意する必要があります。

またそのことで正しい宗教でさえ誤解や過剰反応を受けることがあるのは残念なことです。
あなたの場合も誤解されていることも十分考えられますので、これからそのことを念頭においた対応を心がけてみてはどうでしょうか。

あなたが絶対の信頼を寄せている観音様です。貴方を護ってくれる筈です。
そのことも含めてこれからも是非観音様のご供養をお願いします。
あなたのような人が増えたら世の中もっともっと良くなるでしょうにね。
そのようなことを願ってわたしも僧侶として精進したいと思います。

合掌

平成20年1月17日 宮城県 30代女性からのからのご返信

(※一部修正を加えさせていただきました)

お返事メールを、本当にありがとうございました。
とても、励みになりました。 また、頑張れます。

母が亡ってから20年ですが、母の命日には菩提寺のお坊様にご供養をおねがいしてまいりましたが、 仕事の為だったのか記憶は、さだかではありませんが、都合で、お寺へ足を運ぶことが出来ませんでした。
そのときに、自宅の観音様へしっかりと母のご供養をお願いさせていただきました。
その時の子供との会話でとてもうれしいことがありましたので紹介させていただきます。

私:「ママ、おばあちゃんの命日なのに、お寺まで行くことが出来なくて、こちらからご供養させていただいたんだけれど・・ おばあちゃんは、怒ってないかなぁ?寂しがってはいないかなぁ?」 子供:「ママ、もしも、ママが死んで、私が自分でママをご供養してたら、どう思う?」 私は、びっくりしました!「そんなに嬉しい事はない!!」 子供がまた教えてくれました。
私:「じゃあママ。20年前の今日、ママにとってはとても辛い日だったけど、今日のおばあちゃんは、ママにご供養してもらって、とっても嬉しい日になってるね。」

子供のおかげで、ご供養される側(母)の本当の気持ちに気づかされ、信仰の大切さ、ありがたさを知る事が出来ました。
観音様の慈悲のお力で、その後もとても幸せです。 新しい命も芽生えました。
観音様は何とも素晴らしい事を、本当に心の底から 実感させてくださいます。

そして今は、そちらのホームページを拝見させていただき、勉強させていただいています。
辛いとき、苦しいとき、本当に勉強になります。
これからも、頑張ってください。心から、応援しています。
ありがとうございました。

曹洞宗正木山西光寺