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平成24年9月10日 女性からのご相談

東京在住30歳の女性です。
はじめまして、水子供養について相談させてください。
数年前、授かった命を私の勝手で無駄にしてしまいました。
自責の念で自暴自棄になったり、うつを患ったりしました。
当時はひたすらお寺やお地蔵様へお参りし、亡き子を思い浮かべ手を合わせていました。

毎日謝罪の念と悲しみの中で亡き子は私を見てくれている、いつか私のところに帰ってきてくれる、それまでにもっとしっかりした人間になろうと前向きに考えるようになりました。
その後結婚し、昨年男児を授かりました。

最近、毎日の育児に追われ亡き子を思い出すことが少なくなって来ました。
私は今、すごく幸せなのだと思います。
幸せに目が眩んで過去の過ちを忘れそうになります。
でも時々思い出し心のなかで手を合わせることで供養になったつもりでいました。

しかし、最近自分の思いに自信が持てなくなってしまいました。
自分は子を殺めるだけでなく、大切に思い出すこともできない最低な人間なのだという考えが頭から離れなくなってしまいました。
このような気持ちを誰にも相談できず辛いです。
私はどうしたらよいのでしょうか?

西光寺住職です

率直な思いをうかがいました。
水子の精霊に対して自責の念を感じられておられるようですね。
それが人の心といえるでしょう。

人は宗教の如何に拘わらず死に対して儀礼が行われてこそ安心するのです。
ご先祖であれ水子であれ供養せずにはおれないのが人間なのです。
なぜなら人が人である以上宗教心を持っているからです。

あなたが「安心」できないのは、ちゃんとした儀礼を行っていないからです。
特に、水子の場合、母親にとって想いは格別です。
当山に水子供養に見えるお母さんの母性と感性にはいつも感銘を受けます。

今あなたの母性が哀しんでいるのは、あなた自身と水子が求め合っているからです。
離れ離れになっている二つの心を一つにするのです。
水子供養は決して"葬り去る"ことでも"送別"でもありません。

新たな親子の契りを結んで永遠に護り護られる関係になることです。
それはあなたの人生に新たな護り仏を戴くことになるのです。
特に仏像やお位牌も必要ありません。心の中に自分だけの秘仏を宿すのです。

私はいつも言います。水子は決してマイナスの存在ではなく供養次第で人生の素晴らしいパートナーになるということを。
一度しっかりした供養をされれば必ずや安心と勇気が得られる筈です。
ご多幸を祈念いたします。

合掌

曹洞宗正木山西光寺