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仏教に関するQ&A

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仏教に関するQ&A

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声明は誰の為でしょうか?

声明は誰の為でしょうか?
お経を上げる(読む)事は彼岸の方へでしょうか、又はこちら側の満足だけでしょうか?・・亡くなった方は、此方の声(行為)が聞こえる、判るのダロウカ?

住職からの答え

声明やお経は誰の為でしょうか?供養は亡くなった人に届くのでしょうか? 尤もなご質問です。 大変貴重なご質問だと思います。
多くの人たちが持っている極めて単純であって難しい問題の一つですね。
私なりのお答えをしたいとおもいます。

まず、仏教に限らず、多くの宗教は故人の冥福を祈ることに重点がありますね。
冥福を祈ることとはどういうことでしょうか。
それは故人に対する敬意と追悼であり自己の人としての尊厳の表示であるということです。
祈りと感謝の行為のできるのはこの世の動物の中でも人間だけなのです。

人が人として生きられるのは祈りと感謝があるからなのです。(「祈祷」のページ参考)逆に言えば、祈りと感謝ができるからこそ「人」なのです。
しかし、残念ながら、その祈りと感謝が薄らいできているのが現代社会ではないでしょうか。
「祈り」と「感謝」は一体のものです。

祈りのできない人が感謝のできる筈はありません。
感謝の忘れた人が、他人を疎み、嫉み、恨み、自らの尊厳をも捨ててしまうのです。
人を人とも思わない結果人の命が軽んじられてしまっているのではないでしょうか。
人は実に高貴な存在なのですが、同時に実に弱い存在なのです。

それは人は精神的な生き物だからなのです。
精神、心の持ち方で人生が決まってしまうのです。
その大変デリケートな精神と心は人生そのものと言っても過言ではありません。
その心の安定にこそ宗教の関わりが大きいのです。

一方宗教はアヘンだとも言われていますので変な宗教にひっかかったりしないように気をつけなくてはいけません。
そのためにも、免疫力としてのしっかりとした宗教を持っておきたいものです。
まず、「声明やお経は故人に届くのでしょうか。」というご質問ですが、その前に、あなたは人間に生まれて来る前にはどこに居たのか解りますか。

どこにいたのかは解らないが、どこかに居たという感じはありますか。
実は仏の世界に居たのですよ。
ただ記憶がないだけでそれは事実なのです。
なぜそれが解ったかというと、お釈迦様がその「ほとけの世界」を発見されたからなのです。
その発見を「さとり」といいます。

そのほとけの世界の成り立ちには絶対の法則があります。
それを「仏法」と言います。
その仏法に従ってあなたはこの世に生まれたのです。
実に尊い因縁によるものだったのです。
そしてまた、人は皆亡くなると又ほとけの世界に帰って行くのです。

全て因縁なのです。
ですから人は亡くなってそれで終わりではないのです。必ず来世があるのです。
と、こう言った理論を信じるかどうかは個人のこころ次第ですが、あなたはどう思われますか。
声明やお経を上げるのは故人の供養の意味で行っていますが、故人への哀悼、感謝、追善は人として当然のことです。

供養が故人に届くかどうかは科学的に証明されませんが、それを信じるかどうかは個人のこころの問題です。
ほとけの世界、来世を信じかどうかは正に心の問題で他人はどうすることもできません。
故人に供養が届いているかどうかはあなたのこころの問題次第だというのがわたしの結論です。
そして、感謝の心があれば当然そこには「満足」の心があるのです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺