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あなたの悩みを聞かせてください

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平成19年9月30日 京都府 30代女性からのご相談

はじめまして。
今回、お寺のお坊さんに、悩み相談をしたく、探していましたら、偶然、西光寺さんの駆け込み寺を見つけ、メールを送らせていただいています。
私は、今、うつ病になってから、半年弱が過ぎようとしています。
以前にも、パニック障害という心の病にかかり、完全には完治していません。

-------------------(一部省略)-------------------

病気になっても、家族や友人もなかなか優しく接してくれず、人間の冷たさをひしひしと感じました。
家族や友人が病気になっても、何の言葉や手助けもかけてくれず、遊んでいる家族。
自分の悩みや、愚痴を撒き散らす行為。
病気になったと連絡しても、返事のない友人。こんなことが続き人間不信気味です。

人は、困ったり、辛いときこそ助け合うのだと思うのですが、最近は、良いときだけの付き合いのような気がします。
病気になったら、人は離れてゆくのは、世の常でしょうか?
それとも、私の今までの行いや、前世の行いが悪かったからでしょうか?

私は、今の世の中の、自己中心的で、快楽や物質を求め、人を助けたり、人のために働いたりしない中で、自分だけがまじめに生きるのはとても難しいと思うのです。
ですが、かといって、自分の性格を変えて、自分も自己中心になることはできません。

御住職はどう思われますか?
お釈迦様はどのように生きるようにおっしゃっているのでしょうか?
宜しくお願いいたします。

西光寺住職です

たしかに今の世の中、自分勝手の人が多くなりました。
あなたのおっしゃるように、「自己中心的で、快楽や物質を求め、人を助けたり、人のために働いたりしない」 人達が増えてしまったのは明らかです。

それは、心よりも物質が優先されてきた価値観によるものです。
みてください。地位やお金のある人ばかりがちゃやほやされ威張っています。
人の価値があたかも地位や財産で決まってしまうような錯覚すら起こしてしまいます。

その錯覚から、弱い者は下に見られたり、相手にされなくなるのです。
弱い者とは貧しい人、病弱な人、ハンディキャップのある人等です。
これはとんでもない差別です。
教育では差別は絶対ダメだと教えていますが、現実はそうではありません。

人の価値は「心」で決まるのです。
人の価値は社会的地位やお金や財産などの量とはまったく関係ありません。
その証拠に、人類史上最も貧しかったのはお釈迦さまです。
でもこころは人類史上最も豊かな人でした。
真の豊かさが「こころ」で決まるという証明です。

しかし、今の日本社会をみてください。
こころの無い、思いやりや優しさのない社会になってしまいました。
政治は弱者切り捨てで格差社会が一段と厳しくなっています。
自分は負け組みには入りたくないと思いからどんどん身勝手になるのです。

思いやりと優しさという「こころ」の躾教育が無くなってしまった結果 家庭には虐待、学校にはいじめが蔓延してしまったのです。

さらにその結果自殺や犯罪がどんどん増えました。
心の失われた世界にあるのはもはや餓鬼、畜生、修羅の世界です。
正直者がバカをみるような社会はやがてほんとうの餓鬼、畜生、修羅の世界になってしまいます。

人間は生物学的には完成された生物(いきもの)かもしれませんが、質的には一向に進化していません。
イヤむしろ退化しているといってもよいかもしれません。
2500年も昔に、お釈迦さまはそれを「末法の世」として予言されていました。

社会秩序の元は政治です。その元は教育です。その元は家庭と学校です。
それら全ての元は「こころ」の教育なのです。
その教育の元が宗教なのです。
持論ですが、日本社会がこのように悪くなったのは宗教がなおざりにされた結果です。

お釈迦さまはそのことを最も心配されていたのです。
2500年も昔に人の性(さが)と本質を見極められていたのです。
だからこそお釈迦さまは真実の教え「仏教」を全身全霊、命がけで布教されたのです。

仏教はそれほどの価値のある教えなのです。
末法の現世もはや人を救えるのは仏教しかありません。

あなたのように信念をもっている人は立派です。
たとえ今一人であってもその思いは必ず因となり縁となって周りに波及してまいります。
お釈迦さまは真実の法である「仏法」を鏡として生きなさいとおっしゃっています。
その教えである 仏教を信じてください。 真実は決して裏切りません。

合掌

曹洞宗正木山西光寺