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平成21年7月6日 神奈川県 40代男性からのご相談

(※一部修正してあります。)

禅に興味を持ち、禅会に参加したり、自宅で座ったりをよくしてきましたが、私は人嫌いというか、他人がどうしても好きになれないのです。
ここで言う他人とは、全く面識のない赤の「他人」のことです。
昔はそんなことはありませんでした。

傷ついたトラウマのせいかもしれませんが、特に傍若無人に振る舞う礼儀知らずの若者などを見るととてつもない怒りしか湧いてきません。
そんな自分自身にも疲れます。
原田老師の本など読むと、坐禅をすれば次第に心が柔和になり云々といったことが書かれておりますが、悟ればどんな人にも愛情が湧いてくるのでしょうか?ご教示ください。

西光寺住職です

あなたのお気持ちよくわかります。
特に過去に遭った悪いことがトラウマになっていると当然のことかも知れません。

世の中、物理的環境も人的環境も悪化の一途です。
あなたのような思いでいる人は今や普通のことかもしれません。
そのことで悩み模索する人はむしろ前向きの人といえるかもしれません。
特に 問題意識に立ち向かって仏教や禅に精進していることは立派です。
必ず良い方向に向かっている筈です。それを信じてください。

あなたの最大の疑問は「悟ればどんな人に対しても愛情が湧いてくるのでしょうか?」ということだと思います。
答えは「イエス」です。
しかし、人はそう簡単に悟れないから苦しむのです。

確かに悟りは人の一切の苦しみから救ってくれるものです。
釈尊がそれを証明したからこそ仏教は偉大な宗教になっているのです。
あなたの疑問・悩みこそ人の悩みの原点です。
ちょっとやそっと仏教書を読んだり坐禅をしたからといってそう簡単に悟ることは正直難しいことでしょう。

だからこそ道元禅師の示されているように「修証一如」を信じることです。
当山ホームページ6月の法話「即心即仏」(後編)がちょうど参考になるかと思いますので見てください。
修は修行で証は証明で悟りのことです。つまり修行と悟りは一体だということです。

あとはそれを信じて精進するかどうかです。
「一寸すわれば一寸の仏」という言葉があります。
自覚はなくとも必ず方向は悟りに向かっていることを信じてください。

合掌

曹洞宗正木山西光寺