千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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仏教講座

仏教講座

観音経 --その11--

応以小王身。得度者。即現小王身。而為説法。
応以長者身。得度者。即現長者身。而為説法。
応以居士身。得度者。即現居士身。而為説法。
応以宰官身。得度者。即現宰官身。而為説法。
応以婆羅門身。得度者。即現婆羅門身。而為説法。
応(まさ)に小王身(しょうおうしん)を以て得度すべき者には、即(すなわち)小王身を現(げん)じて、而(しか)も為(ため)に法を説き、
応に長者身を以て得度すべき者には、即ち長者身を現じて、而も為に法を説き、
応に居士身を以て得度すべき者には、即ち居士身を現じて、而も為に法を説き、
応に宰官身を以て得度すべき者には、即ち宰官身を現じて、而も為に法を説き、
応に婆羅門身を以て得度すべき者には、即ち婆羅門身を現じて、而も為に法を説きたもう。

小王身とは人間界の王様のことです。「華厳経」には、「国家には君主がいてはじめてすべてのものは平安を得ることができる。
したがって、王はすべての生きとし生けるものの幸福の根本である。
在家・出家が精励するところの仏道は、正義を守る国家によって維持され、広められる。
もし国王の力がなかったならば、宗教的実践は完成せず、真理の教えはあますところなく滅びてしまうであろう。だから、どうして人々を救済することができようか」とあります。

前段に出てきた梵王身、帝釈身、自在天、毘沙門天などが天上界の神であるのに対して小王身とは人間界の王様といったところの人です。
具体的にはインドのアショカ王、中国梁の武帝、日本の聖徳太子、聖武天皇などがその小王に匹敵するところでしょうか。
観音さまはこのような人王に姿を現じて説法してくださるというのです。

国王というと前時代的な感じがしますが、国家の安寧は国の指導者次第という意味ではいつの時代もかわりはありません。
国の指導者が独裁者であまりにも非常識人間のため国家国民の大部分が地獄の苦しみを味わっているという国が日本のすぐ隣にありますね。
北朝鮮というとんでもない犯罪国家、テロ国家です。最近では核保有を振りかざしています。

アメリカが最も恐れているのは核拡散によるアルカイダなどによる核のテロ攻撃です。
そんなアメリカは足下を見られ、徐々に北朝鮮のいいなりになってきています。
テロ支援国家の指定から外されたりしたら益々図に乗って拉致問題の解決も更に難しくなるかもしれません。

そんな先の見えない不安はまだまだ続くのでしょうか。
でも、はっきりしていることは、間違いなくあの国は破滅の方向に向かっているということです。
仏法による因果の証明の来る日は近いような気が私には感じられます。

長者とは、一般的には富豪、資産家を指しますね。
ただし仏教で言う長者とは単に金持ちをいうのではありません。
学問を身に付け知恵があり徳と品格があり人から尊敬される人のことです。
特に仏教に帰依しているというところが必要不可欠です。

  コーサラ国の舎衛城に祇園精舎を建立してお釈迦さまに寄進した長者がいました。
須達(しゅだつ)長者です。
彼は精舎を建てる土地を購入するために、その土地に黄金を敷き詰めて代金にしたそうです。
お釈迦さまの時代からお寺という修行道場はすべて長者などによる寄進によって建立維持されてきたのです。

歴史上の立派な寺院仏閣はすべてそのような三宝に帰依した長者や居士達によってこそ成り立ってきたのです。
仏教の普及にはそんな長者居士達の陰徳布施行が有ったことを忘れてはいけません。

今の時代なかなか本物の長者は見当たりません。
お金持で裕福な人はいくらでもいます。
しかしそのお金を世のため人のために使おうと考えている人はあまりいません。
むしろお金持ちほどお金に執着し、お金万能主義に陥っている人が多いような気もします。
私は、人はお金の使い方で人としての価値が決まってくると思っていますが、如何でしょう。

次が、居士身です。
居士とは在家の男子のことであり、裕福な資産家であり熱心な仏教信者であるということは長者と同じです。
ただ居士たる者は次の四徳をそなえ持つといわれています。
(1)仕官を求めない。(2)寡欲(少欲)であること。(3)資産化家であること。(4)求道者であること。

ところで、仏教史上最も有名な居士と言えば維摩(ゆいま)居士でしょう。
維摩は在俗の信者でありながら、専門家であるお釈迦さまの弟子達を手玉にとってしまうほどの仏教理論に精通していました。
その天才ぶりはその悟りの境涯から維摩経というお経が説かれた程でした。

あと居士と言えば、宗門にとっての大偉人、大内青巒(せいらん)居士です。
青巒居士は道元禅師の深い渇仰者であり、今日の「修証義」は彼の編纂から生まれたものです。
当時の永平寺貫首日置黙仙禅師は、「青巒居士は明治の維摩居士として、僧と俗との架け橋となって、僧を鞭撻し俗を指導して、仏教界のために全身を投じたのである。
居士身を現じて教界に尽くした人は他にない」と評されています。

よく「居士」とはどんな意味と聞かれることがありますが、真の居士とはそうゆうものです。
今日、お戒名に「居士」を簡単に付与しますが、「大〜売り」の感がありますね。

宰官身とは、役人のことです。
今でいう公務員です。いつの時代にも必要な人達です。
公務員にも幅がありますね。大臣や官僚から警察官消防官そして役場の職員まで、幅広く様々な分野で国家国民のために働いてくれているわけです。
観音さまはそんなどんな役人にも現じられるということです。

婆羅門身とはインドのカーストのなかの最高の僧侶階級を指しヒンズー教の祭祀をおこなうことを職業としている人です。
ヒンズー教は仏教以外の宗教ですが、観音さまはそんな他宗教の司祭者にも現じて説法を行うというのです。

つまり、観音さまは仏教の内部だけではなく、宇宙に存在するありとあらゆるものに応現されるということが縷々述べられているのです。
観音さまが宇宙に存在する一切のものに応現できるというその真意とは何でしょう。

その真意とは観音さまの実体は宇宙の働きそれ自体だと認識することです。
その実体を認識するときこそあなたと観音さまが一体になれる瞬間なのです。
その方法とはこれまで何度も言ってきました、唯唯一心称名「南無観世音菩薩」です。

合掌

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