千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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仏教講座

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遺教経 --その3--

仏遺教経 (3)
世事に参預し、使命を通知し、呪術し仙薬し、好みを貴人に結び、親厚媟慢することを得ざれ。
皆な作に応ぜず、当に自ら端心正念にして度を求むべし。
瑕疵を包蔵し、異を顕わし衆を惑わすことを得ざれ。
四供養に於て、量を知り足ることを知り、趣かに供事を得て応に畜積すべからず。
此れ則ち略して持戒の相を説く。

世事(せじ)に参預し、使命(しみょう)を通知し、呪術(じゅじゅつ)し仙薬(せんやく)し、好(よし)みを貴人に結び、親厚媟慢(しんこうせつまん)することを得ざれ。
皆な作(さ)に応ぜず、当(まさ)に自ら端心(たんしん)正念にして度(ど)を求むべし。
「世事(せじ)に参預し」
世事とは世間の事、とくに政治経済のことであり、参預とは関わりのこと。
政治経済活動に参加すること。
「使命を通知し」
使命とは権力者に関わる務めのことであり、通知とは達振る舞うこと。
権力者の間に立って斡旋口利きなどすること。
「呪術し仙薬し」
呪術とはまじないのこと。仙薬とは不老長寿をうたった霊薬のこと。
「好みを貴人に結び」
貴族や権力者などに積極的に近づくこと。
「親厚媟慢」
親交を結び贈与の交換などして得意気になれなれしくなること。
「皆な作に応ぜず」
どれも応じるべきでなく皆つっぱねなさい。
「当に自ら端心正念にして度を求むべし。」
「度」は「渡」と同じで「わたる」こと、彼岸という悟りの向こう岸に渡ること。まさに自ら心を端(ただ)し、雑念のない真心をもって悟りに向かって精進すること。

一般世間の政治や社会の仕組み事に関係したり、貴族階級や高官などの権力者に積極的に近づき、親しげに立ち回り、贈与の交換や斡旋口利きをしたり、馴れ馴れしくしてはならない。
呪いや占いごとをしたり得体の知れない妙薬などを売り歩いて金儲けなどしてはならない。
それらはみな仏道修行者のする作努ではないからだ。
修行者たるものは、つねに心を正しく保ち、悟りを求めることに励むべきである。

前回に続いて、釈尊は入滅に臨んで、特に出家仏弟子を対象にした説教であるため内容的には小乗仏教の立場からの訓戒といえるので、在家一般の人々を対象にしたいわゆる大乗仏教の立場からみると、たいへん厳しい非現実的な内容といえるでしょう。

しかし大事なことは、小乗、大乗に拘わらず仏教の主旨は一貫していなければなりません。
一般在家の信者であろうと、出家仏弟子と同じ気持ちでこの釈尊の説かれる戒律の真意を受け取り出来ることを実践することが肝腎です。

この釈尊の教戒を特に信奉し如実に実践され方こそ御開山道元禅師です。
禅師は永平寺に隠棲してから五年目、四十八歳の時、時の執権北条時頼の懇請によって、鎌倉に遊化しました。
道元禅師に傾倒した時頼は、禅師のために寺院を創建してその住持になることを乞うたのです。
しかし、禅師はその請を断って永平寺に帰山してしまいます。
禅師にとって、政治の権力に近づくことなど仏道者として最も恥ずべきことだったからです。

禅師が宋に渡り如浄禅師の下で宗乗の第一義を悟り、いよいよ中国を引き揚げて帰国することになった時、師の如浄禅師がはなむけた教訓は、「城邑(じょうゆう)聚落に住することなかれ、国王大臣に近づくことなかれ、ただ深山幽谷に居して、一個半個を説得して、わが宗をして断絶を致さしむることなかれ」(建撕記)というものでした。

平安の時代から多くの宗派が開創されましたが、その多くは時の政権に与することを目指したのです。
それは権門に迎合することで利権や援助を得て宗門が発展することを願ったからです。

「真理という立場からすれば、鎌倉に行くことは無意味であると思う。権門の物質的援助のもとに禅林を経営しようなどとは、修道者の最も嫌悪すべきことである」として、禅師は鎌倉移駐には絶対に反対したのです。
道元禅師が、あえて都や幕府から遠い越前の地に永平寺を創建されたのもまさに権門からの隠栖だったのです。

同じ禅宗でも、日本の臨済宗とでは権門に対する意識はまったく異なっていました。
たとえば京都にしろ、鎌倉にしろ、臨済宗寺院の多くは町中のいわゆる"一等地"にあります。
対照的に曹洞宗寺院の多くはあえて人里離れた山間部など、いわゆる"山寺"が多いのも、道元禅師の心思を如実に表したものといえるでしょう。

さらに、禅師は釈尊が名利を弊履(へいり)のごとくに投げ捨てて修道に徹された点に最も心を引かれていました。
権門に近づかないということは、同時に名利からの隔絶でもあったのです。
禅師が越前に下向し隠棲した理由は、何よりも名利の欲望を捨て去ることが仏道修行だとの思いがあてのことでした。

禅師が北条時頼の懇請を断って永平寺に帰るとき、時頼は越前国六条堡の土地を永平寺に寄進しようとしましたが、禅師はこれを断ります。
ところが禅師より遅れて鎌倉から戻った弟子の玄明が、時頼からの寄進状を持ち帰ったのです。

よろこんで得意気に帰ってきた玄明に禅師は、「この喜悦の意きたなし」と言って玄明を永平寺から追放してしまったのです。
さらに彼が坐禅をしていた禅堂の床まで切り取って捨てさせたとか。
常に名利に近づくことを厳しく禁じていた禅師にとって許されない所業だったのです。

瑕疵(けし)を包蔵(ほうぞう)し、異を顕わし衆を惑わすことを得ざれ。四供養(しくよう)に於て、量を知り足ることを知り、趣(わず)かに供事(くじ)を得て応(まさ)に畜積(ちくしゃく)すべからず。此(こ)れ則ち略して持戒の相を説く。
「瑕疵(けし)を包蔵(ほうぞう)し、」
「瑕疵」は過ち、罪過。「包蔵」はつつみ隠すこと。
「異を顕わし衆を惑わすことを得ざれ。」
常識を越えた神懸かり的なことや奇跡的な異論で人心を惑わすことなどしてはならないということ。
「四供養に於て、量を知り足ることを知り、趣かに供事を得て応に畜積すべからず。」
「四供養」は修行者が頂く四つの布施品のことで、衣、食、寝具、医薬品のこと。
「量を知り足ることを知り」は仏道修行に最低限必要な分量を自覚しなさいということ。
「趣(わず)かに供事を得て応に畜積すべからず。」
「趣か」とは、「たまたま」とか「わずか」とかのことで、「供事を得て」は供養を受けることで、わずかの供養を受けてもその中で少しだけなら余分にでもという気持ちを起こして貯めてはならないということ。
「此(こ)れ則ち略して持戒(じかい)の相を説く。」
「此れ」は、「以上で」というほどの意味。
「略して」は、説法の初の「略して法要を説きたもう」と同じように「あらまし」ということ。
「相」は、様相とか、姿、形、有様から、そのものの実相とか本質という意味。
「私は以上で戒律を守ることのあらましを説き終わりました」ということ。
「自分の罪過や間違いを隠したりせず、正直でなければならない。常識を越えた奇跡的な言動で人を惑わしたりしてはならない。」
故意の有無にかかわらず人は誰でも間違いをします。
大事なことは正直な心で率直に懺悔することです。「懺悔滅罪」という仏陀の慈愛を信ずべきなのです。

宗教の中で最も危険なことは、良からぬ輩の術中に填りマインドコトロールされてしまうことです。
奇術や魔術のトリックに騙されたり、神懸かり的な迷信を信じて盲信に陥ることです。
どれも人を不幸に陥れる罠でしかないのです。
この手の詐欺は人類が続く以上絶対に無くならないでしょう。正しい宗教で正しい見識を養うことです。

「徒らに所逼を怖れて山神鬼神等に帰依し、或いは外道の制多に帰依することなかれ、彼は其の帰依によりて衆苦を解脱することなし」(修証義)

仏教は因果必然の道理を悟り実践する宗教です。
何の根拠も無く金が儲かる、病気が治る、試験に受かる、出世するなどといった道理などある筈はないのです。
あと誤解のないように申すとすれば、「祈祷」は真如実相の因縁を正すための祈りですから、仏心の行事であり、人にだけ与えられたまさに宗教の一大事業なのです。

「四供養においては、自分の量を知り、足ることを知るべきである。
余分に供養物を得て蓄えたりするような卑しいことは慎むようにしなさい。
以上でわたしの持戒についてのあらましを説き終わります。」

特に出家仏弟子は、四供養(衣服、飲食、寝具、医薬)を人々から托鉢や布施によっていただき生活しています。
この四供養においても、修行者は修行に最低限必要な分量だけの供養を受け、余分にいただくようなことがあってはなりません。

意図的に少しなら蓄えても良いだろうなどと考えることは執着心を助長することになるからです。
特に教団においては、物に対しての執着心こそ最大の敵なのです。
その執着心を起こさないためにも一切の労働と生産を禁じたのです。

生活物資のすべてを托鉢と布施供養に依ったのもすべて欲望を抑えるためでした。
そのためには「量を知り足ることを知るべし」と釈尊は示されたのです。

心の健康も体の健康も食事はその人に合った量が大事です。これを「応量」と言います。
曹洞宗の修行道場では、食事は「応量器」という「器」でいただきます。
その人のその時の体調に合った分だけをいただきます。
食べ過ぎず、残さず綺麗にいただくことが求められます。

ある日、釈尊の下で説法を熱心に拝聴するコーサラ国のパセナーディ王がいました。
王は美食家で体格もよく、その日もふうふうと息をはずませながら汗を拭き拭き釈尊の教えに聞き入っていました。
釈尊は王のその様子を見て「パセナーディ王のために」と、一篇の詩を与えたのです。

人は自ら懸念して
量を知って食をとるべし
さすれば苦しみ少なく
老ゆること遅かるべし

以来王はその詩の意味をかみしめて食事をしたのです。
やがて食事の量も減り、肥満していた体も次第に痩せて、健康体になると供に、容貌も端正になりました。
王は自分の体を撫でながら歓喜に満ちた声で、遙か釈尊のおわす方に向いて礼を述べました。
「松原泰道老師著『遺教経に学ぶ』より」

最近NHKの番組「ためしてガッテン」で見たことですが、なんでも「長寿遺伝子」なるものが発見されたそうです。
人はその遺伝子をONにすることで健康で長生きできるとのこと。
OFFになることで病気になったり短命になったりするとのこと。
その「遺伝子」をONにする秘訣はただ摂取カロリーをある数値まで制限することだそうです。

そういえば、生活習慣病のほとんどは、食べ過ぎ、飲み過ぎ、偏食などが原因です。
健康は宝です。その宝を護るのも食事の質と量が「応量」であることが大事なのです。
2500年も昔、80歳の長寿を全うされた釈尊の「量を知り足ることを知るべし」の戒語だけに一層の尊さを覚えます。
あと、その「量」の意味は後の三供養(衣服、寝具、医薬)の場合もまったく同じだということを忘れないでください。

合掌

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