千葉県南房総館山市にある曹洞宗のお寺です。水子供養・永代供養・ご祈祷などのお申し込みは当山まで。坐禅体験もあり。

曹洞宗 正木山西光寺

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仏教講座

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観音経 --その20--

蚖蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 念彼観音力 尋声自回去
雲雷鼓掣電 降雹澍大雨 念彼観音力 応時得消散
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
蚖蛇(がんじゃ)及(およ)び蝮蠍(ぶくかつ)、気毒煙火(けどくえんか)のごとく燃(も)ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声に尋(つ)いで自ずから回(かえ)り去らん。
雲雷(くもいかずち)鼓(な)り掣電(いなびかり)し、雹(あられ)を降らし大雨(たいう)を澍(そそ)ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん。
衆生困厄(こんやく)を被りて、無量の苦身(くみ)に逼(せま)るも、観音の妙智力は、能(よ)く世間の苦を救ひたまふ。
神通力を具足(ぐそく)し、広く智の方便を修して十方諸(もろもろ)の国土に、刹(せつ)として身を現ぜざることなし。
種種(しゅじゅ)諸の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ。

「蚖蛇及び蝮蠍、気毒煙火のごとく燃ゆるも、彼の観音の力を念ずれば、声に尋いで自ずから回り去らん。」
蚖は「とかげ」、蛇は「へび」、「蝮」は「まむし」、蠍は「さそり」のこと。
その猛毒を持ったトカゲやサソリや蛇などが烈火の如く怒って立ち向かってきたときに、「南無観世音菩薩」と念じ観音さまのお力にすがれば、その声を聞いた猛毒の輩は向きを変えて立ち去って行くというのです。

とかげや蛇やさそりは小さな動物ですが、彼らは猛毒を持っています。
もし刺されたり、噛まれたりしたら一命はありません。
その小動物は何を表しているのでしょう。
前段に出てくる悪鬼や悪獣は大きな形をしていて目立ちますが、さそりや蛇は小さくて目に付きにくいものです。

しかし、目に付きにくい小さなものでもその持っている毒は猛毒です。
僅かな隙に隠れていて常に目立たないそれらの小動物ほど気を付けなければなりません。
油断すると何時襲われるかわかりません。
目に付きにくい猛毒を持った小さな生き物とは何を意味しているのでしょう。

それは心の"油断"を指しているのです。油断は常に心の隙に隠れているからです。
小さな油断でも処理を誤れば致命的な痛手を被ります。
どんな人にも油断があります。油断した時の対応こそが大事です。
そんなときこそ、一息ついて、「南無観世音菩薩」とお唱えすることで冷静な心に立ち戻れるのです。
そして観音さまが的確な判断を導いてくださるのです。

「雲雷(くもいかずち)鼓(な)り掣電(いなびかり)し、雹(あられ)を降らし大雨(たいう)を澍(そそ)ぐも、彼の観音の力を念ずれば、時に応じて消散することを得ん。」
雷雲が轟き、稲妻が走り、霰(あられ)が降り、大雨に遭っても、「南無観世音菩薩」と念じ観音さまのお力にすがれば、雷雨の難から逃れられるというのです。

お天気は無常です。晴朗の空が突然かき曇って、雷鳴轟き、稲妻が走り、霰や雹や大雨が降り出したりします。季節によっては暴風や大雪になったりします。
まさに天気は生き物と言ってもよいでしょう。
その天気はすべて空気の有り様で決まるのです。

ちょうど人の「心」も「天気」と同じです。心を天気に例えたらどうでしょう。
人の心も常に変化する空の如くいつも晴天白日とは限りません。
躁や鬱もあれば悲しみや喜びがあります。
怒りもあれば苦しみもあります。
気持ちの喜怒哀楽はすべては心の有り様で決まるのです。

例えば雷は人の「怒り」を表します。 怒りや癇癪は必ず破壊を伴います。
物の破壊は目に見えますが人の心の破壊や傷は眼には見えません。
コントロールできない「怒り」は人や物に危害を加えたり、最悪の場合命を奪ったりします。
そのような事態を招く前に一刻も早く「南無観世音菩薩」とお唱えし心を鎮めます。
観世音菩薩の偉尽力によって心が救われるのです。

「衆生困厄(こんやく)を被りて、無量の苦身(くみ)に逼(せま)るも、観音の妙智力は、能(よ)く世間の苦を救ひたまふ。」
衆生が被る苦しみ、悩み、災難は無量であるが、その困厄を受けて心身ともに逼迫している時、「南無観世音菩薩」と念じ観音さまのお力にすがれば、観音さまの偉尽力は世間のどんな苦しみも救ってくださるというのです。

この段はこれまでの数々の「苦難」の結論です。
「困厄」とは、人生の苦しみ、悩み、災難のすべてを指します。
人生に百人百様あるように、人の苦しみや困難も実に様々です。
貧しい人には生活苦の悩みが、病気の人には病気の苦しみがあり、お金や財産のある人にも、地位や名誉のある人にもそれなりの悩みがあるものです。
観音さまは、どんな人のどんな悩みにもそれぞれに応じて救ってくださるのです。

観音さまは差別や区別は致しません。
貧者を優先することはありません。
地位や名誉のある人を優先することもありません。
貧者であろうが長者であろうが悩みや苦しみの「本質」にかわりはないからです。
さらに言えば、善人であっても悪人であっても救われることに一切の条件や差別はないのです。
これこそ観音さまの大慈悲心なのです。

「神通力を具足(ぐそく)し、広く智の方便を修して十方諸(もろもろ)の国土に、刹(せつ)として身を現ぜざることなし。」
観音さまは神通力をもって一瞬のうちにあらゆる世界に赴き、自在の叡智をもってその時その場に応じたお姿で現れるというのです。

「神通力」とはよく聞く言葉です。
何でも見透せる能力というと、超能力を思いうかべますが、それは世俗的な「超能力」とは違います。
参考までにちょっと触れておきましょう。

(1) 天耳通(てんにつう)
仏界から地獄までのあらゆる世界の声が聞こえること。
(2) 天眼通(てんげんつう)
仏界から地獄までのあらゆる世界が見通せること。
(3) 宿命通
無限の過去から無限の未来までの輪廻転生のすがたが見通せること。
(4) 神境通
何ものにも囚われない境地、大自由の心をもつこと。
(5) 他心通
心のあるものの「心」をすべて見通せること。
(6) 漏尽通(ろじんつう)
無明を超えた清浄なる本具の心をもつこと。

神通力を持った観音さまは十万億土彼方の世界であろうが、どんな世界であろうが、刹(一瞬)にして赴くことができるのです。
浄土であれ穢土であれ、極楽であれ地獄であれ、餓鬼道であれ畜生道であれ、観音さまが相(おすがた)を現さない世界はないのです。
勿論乞われてのことです。その言葉が「南無観世音菩薩」です。

「種種(しゅじゅ)諸の悪趣、地獄、鬼、畜生、生老病死の苦、漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ。」
そして、地獄、鬼、畜生、修羅などの様々な悪の世界の苦しみと、生老病死という苦しみを少しずつながらも完全に無くしてくれるというのです。

悪趣(あくしゅ)とは主に六道の世界を言いますが、その中でも地獄、餓鬼、畜生は三悪趣と言って特に極悪の世界とされています。
そのような世界に堕ちて苦しんでいる苦しみや、生老病死という、生きている以上避けることの出来ない「四苦八苦」の苦しみなどは、観音さまは妙智力をもって少しずつ無くしてくださるというのです。

「妙智力」とは観音さまの妙なる智の力です。
それがすなわち神通力や偉尽力となって一切衆生を悩み苦しみから救ってくださるのです。
それには観音さまを心から信じて、至誠におすがりすることだと繰り返し説かれています。

観音さまの存在は本当なのか。観音さまの奇蹟は本当なのか。本当に自分を救って下さるのか。
そういった疑問があるうちには観音さまは絶対に出現されません。
「出現」が先か「信じること」が先か、そこは大きな問題ですが、信ずれば必ず救われる・・・それが観音さまの真実です。

合掌

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