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仏教に関するQ&A

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禅には坐禅以外にも、立禅、動禅というものが…

禅には坐禅以外にも、立禅、動禅というものがあると聞きました。
お差支えなければ、ご教授願いたいのですが。

住職からの答え

禅とは「禅定」(ぜんじょう)の意味ですが、それは座る形が基本なのです。
また坐禅の座を「坐」の字で書くこともあります。
「坐る」という字は土の上に人と人が向かい合うという意味です。
「坐」には「まだれ」がありません。
「まだれ」は屋根の意味ですからそれは屋根が無い外で坐るという意味でしょうか。

お釈迦さまはその昔野外の菩提樹の下で坐禅をしました。
そんなところから「坐」の字にこだわる人もいますが、私は個人的にはどちらでもいいのではないかと思っています。

さて、ご質問の主旨ですが、禅には座る禅以外に「立禅」と「動禅」があるかということですが、結論から申しますと立禅も動禅もあります。
さらに申せば食べる禅もあれば寝る禅もあります。泣く禅もあれば笑う禅もあります。
歌う禅もあれば「糞する禅」(ごめんなさい)もあります。

決して冗談で申しているのではありません。
禅とはつまり生活総てだと捉えるべきなのです。
生活総ての基本が「坐禅」に始まるべきだということです。
それは「坐禅」を総ての生活に応用することで「禅的生活」を送ろうという意図です。
ですから禅は形において限定されません。

では「禅」とはなんでしょうか。
それを一言や二言で言うことは難しいことですが、あえて一言で申せば、「なりきり」ということです。
「なりきり」とは無我無心の境地であり、これこそ悟りの世界に最も合理的に通じる手段なのです。

悟りの世界はこの「なりきり」の境地が入り口になっていると言ってよいでしょう。
その「なりきり」を狙った公案こそが有名な「無字の公案」なのです。
「なりきる」ことで「一切皆空」「諸法無我」「涅槃寂静」と言った「世界」を感得することを狙っているのです。
その感得を「悟り」と言うのです。

その「なりきり」の最良の手段が「坐禅」なのです。
ですから坐禅こそ悟りの入り口ということになるのです。
さらに、ほんとうにその意味が理解されたときこそ「坐禅そのもの」が「さとりの姿」と捉えることができるでしょう。
まさに坐禅こそ安楽(さとり)の法門なのです。

お釈迦さまが六年間の禅定の結果ついに大悟されたのは正にそれを証明しています。
すなわち、坐禅と同じ境地で「起きる」「顔を洗う」「食べる」「歩く」「トイレに入る」「働く」「寝る」ということです。
このことを「立禅」「動禅」と言うのです。つまり言い換えれば生活総てが修行の場であるということなのです。
しかしいずれにしろ基本はあくまで「坐禅」であるということを忘れてはいけません。

合掌

曹洞宗正木山西光寺