観音経 --その2--
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若有持是観世音菩薩名者。設入大火。火不能焼。由是菩薩威神力故。
若為大水所漂。称其名号。即得浅処。
若し是(こ)の観世音菩薩のみ名を持する者あらば、設(たと)い大火(たいか)に入るとも、火も焼くこと能(あた)わず、是の菩薩の威神力(いじんりき)によるが故に。
若し大水のために漂(ただよ)わされんに、其の名号を称えれば、即ち浅き処を得ん
この段より七難が説かれています。
百千万億の衆生が受ける七つの災難とは、
(1)火難
(2)水難
(3)風難
(4)剣難
(5)悪鬼難
(6)枷鎖難(囚難)
(7)怨賊難
を言います。
この節ではこのうちの火難、水難の二つが説かれています。
(1)火難とは言うまでもなく火災による災難です。
地震や戦争や事故や犯罪による火災によってこれまでどれほどの人命が犠牲になったでしょうか。
火災の恐ろしさは言うまでもありません。
「そんな恐ろしい火の中に陥ったとしても、もし観世音菩薩の御名を一心に称えることができればその観音様の威神力で火によって決して焼かれることはない。」というのが初めの文章の意味です。
これを理訳で考えてみましょう。
火難の「火」とは人の心の中の「怒り」のことです。怒りは「瞋り」とも書きます。
三悪趣の貪(とん)、瞋(じん)、
痴(ち)のうちの一つでもあります。
人は怒りに理性を失うと何をしでかすかわかりません。
制御が利かなくなった怒りの心は一気に燃え上がる炎と同じです。
一気に燃え広がりあらゆる物を消滅させます。そのように怒りの心は破壊につながります。
文字通り放火や殺人、傷害、暴力となって襲ってゆきます。
犯罪のほとんどはこの「火難」という「怒り」によるものと言っていいでしょう。
このところ子供の災難不幸が続いています。
先日も塾の教師による小学生女児の殺害事件がありました。
とても信じられない犯行の計画性、残虐性が報道されています。
憎んでも憎みきれないこの23才の若い男ですが、今までに少しでも観音様の「縁」があったらとつくづく悔やまれます。
人によって堪忍袋の大きさは違うようですが誰でも持っているものです。
決して他人事ではありません。
腹が立ったら観音様の御名を称えて下さい。
そうすれば必ず心が静まってくるのです。
観音様は必ず怒りの「炎」を鎮火してくださいます。
それにしてもちょっとしたことで腹を立てる人が時々いますが実につまらないことです。
是非修行してほしいものです。
つぎに「若し大水のために漂(ただよ)わされんに、其の名号を称えれば、即ち浅き処を得ん」とあります。
(2)水難について説かれています。
もし大水に流され川でも海でも漂っているとき、観音様の御名をお称えすればたちまち観音様のお導きで浅いところに辿り着くことができ救われるというのです。
これを理釈で考えてみましょう。
まず「水難」とは何でしょう。
よく映画かなんかで八卦見が「あなたには水難の相が出ておりますな」などと言っているシーンが思い起こされますが、それは「溺れる」ことであるのです。
人の精神は実に弱いものなのです。じきに何かにおぼれるようになっているのです。
金におぼれる。女におぼれる。酒におぼれる。権力におぼれる。名誉におぼれる。
おぼれるものはたくさんあります。なぜでしょう。
それは人には「欲」があるからです。
生きている以上欲はあります。しかし必要以上の欲は「貧(とん)」になります。
「むさぼり」になるのです。
性欲、金欲、名誉欲、権力欲など、どの欲でも羽目を外すと果ては犯罪になります。
毎日の犯罪のニュースを見てください。
「怒り」と同じように「貪り」が犯罪の直接の原因になっているものばかりじゃないですか。
愛欲におぼれ不倫の果てに相手を殺害したり、異常な性欲のはけ口が幼女誘拐、暴行殺害を起こします。
金欲におぼれ良識の判断を無くし耐震構造偽造の殺人マンションを平気で造ってしまったり、権力欲や名誉欲から汚職や暗殺、果てはテロや戦争の報復応酬の繰り返しは歴史を見ての通りです。
これらは現在進行形です。イヤ未来進行形でしょうか。
「溺れ」は執着からきます。執着は「こだわり」なんです。
「執着するな、執着するな」「こだわるな」「こだわるな」と説いているのが般若心経であり観音経なのです。
合掌