遺教経 --その2--
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仏遺教経 -二-
汝等比丘、我が滅後において、当に波羅提木叉を尊重し、珍敬すべし。
闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは則ち是れ汝が大師なり。
若し我れ世に住するとも、此れに異なることなけん。
淨戒を持たん者は、販売貿易し、田宅を安置し、人民奴婢畜生を畜養することを得ざれ。
一切の種植及び諸の財宝、皆当に遠離すること火坑を避くるが如くすべし。
草木を斬伐し、土を墾し地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚を推歩し、暦数算計することを得ざれ。
皆な、応ぜざる所なり。
身を節し、時に食して、清浄に自活せよ。
戒律は大きく分けて、善を進めるためのものと、悪を防ぐためのものから成り立ています。
三学(戒→定→慧)が仏教ですから、その初めにあるのがこの戒律です。
仏教の目的は言わずもがな、慧(さとり)です。
その最初の条件としてあるのがまず心身や生活を整えるための戒律なのです。
釈尊が悟ってから十二年間ほどは、戒律がなかったといわれます。
しかし、修行者が問題を起こすたびに戒律が定められ、ついに比丘では二百五十、比丘尼では三百四十八という膨大な条項数の戒律になったといわれます。
それにしても女性の方が百も多いというのはどういう訳でしょうか。
戒律の内容が全てわからない以上本当のところ拙僧には分かりません。
単純に女性の方が男性よりも煩悩が多かったためなどという人もいますが、そんな筈はなく、拙僧の考えるところ、それは古代インドの文化、風習により、特に女性に求められていたセンスによるものではなかったかということです。
お釈迦さまの時代はまだ小乗仏教が主流でした。
小乗仏教とは出家を対象にした教えだと言ったらよいでしょう。
特にお釈迦さまが涅槃に入られるその時にあっては、出家者達(比丘、比丘尼)にその基本となる心得を説かれたのです。
修行とは三学(戒→定→慧)のことです。
戒(戒律)により心身が整えられますと、次に定(じょう)、つまり禅定(瞑想)に入ります。
そのあと慧(悟り)がやってきます。この一連のすべてを"修行"といいます。
その最初の戒を守るのに必要とされるのが質素清廉な環境です。
清貧な生活を送るためにはまず慾を捨てなければなりません。
そのためにはまず全ての生産活動から遠ざかるのです。
釈尊は生産活動の例を挙げて全ての慾を捨てるよう諭されました。
その具体例として挙がっているのが、物を売買したり、物々交換したりしないこと。
田畑や家屋などの財産を所有しないこと。
下男、下女やら小作人など抱え込まないこと。
家畜を飼わないこと。
さらに、開墾したり、薬草の生産をしないこと。
易や占いで人の運命を予見してもならない、とまで諭されているのです。
どれもみな人が生活していく上での当たり前の営みですが、出家には必要ないものです。
どれも皆生産活動だからです。つまり生産活動や収益活動こそ欲望の対象と捉えるからです。
出家者にとって修行の一番の障害は欲望ですから、それを押さえるためには一切の財産を持たないことだと釈尊は示されているのです。
だから修行者は"出家"するのです。
文字通り家を出ることで一切の所属品を捨てるのです。お金の額や物の量の問題ではありません。
例え少額のお金、少量の財産であっても"自分のもの"だという思いがあると、そこには必ず"もっと欲しい"という欲望が強まるのです。
食べ物も同じことです。
余り物を次の食事に残しておけば合理的だと考えるのが当然です。
明日あさっての食事を確保しておきたいと思うのが当たり前の感覚です。
しかし、釈尊は例え一食分の食事でも確保することから欲望が増長すると考えたのです。
だからまず欲望の排除に徹底されたのです。
その象徴が托鉢です。
「出家は労働しないのだから世間の余り物を頂き感謝をして修行する」というのが釈尊の指導でした。
鉄鉢を保ち、朝食の済んだ頃合いに、一軒一軒まわったり、門に立ったりして食事の余りを頂いたのです。
ところが、下さる方になりますと、折角修行をして立派な悟りを目指している僧たちに、さすが余り物は差し上げられませんから、お初を布施したのです。
一切の財産を所有しない出家にとって、一食たりとも蓄えがあってはならないという、人の欲望を極限まで追い遣ろうとした釈尊の偉大な決意が覗われます。
托鉢行は修行のなかでも最も尊い行(ぎょう)だと言われる所以です。
「清浄に自活せよ」・・・質素清廉な生活を送りなさい。
清貧こそ欲望を遠ざける最も重要な条件だと言いました。
その清貧生活の象徴が「托鉢」であり、もう一つが「袈裟」です。
次にその袈裟について考えてみましょう。
御開山道元禅師は「学道の人、衣食を貪(むさぼ)ることなかれ」(随聞記)と説かれ、つぎのように示されています。
さらに、「出家は三枚の衣と一つの食器のほかには、まったくの無一物である」と明言され、「そもそも袈裟は、三世十方の諸仏が正伝していまだ断絶せず、三世十方の諸仏・菩薩・声聞・縁覚がひとしく護持し来ったものなのである。」(眼蔵・袈裟功徳)
また、禅師の理想は釈尊の推奨された糞掃衣(ふんぞうえ)に最もよくあらわれています。
糞掃衣とは、ゴミ溜や道端、墓場などに捨てられた布切れを拾い集め、きれいに洗って縫い合わせ袈裟に仕立てたものです。
日本語の「袈裟」はパーリ語のカーサーヤ、サンスクリット語のカーシャーヤからきています。
その意味は、「汚れ」「悪くなった色」というような意味です。
布は古くなったり汚れたりすると最後は黄茶色になります。もうこれ以上変わらない汚れの色です。
その色の象徴が木蘭(もくらん)です。木蘭の袈裟はまさに清貧の象徴であるのです。
ですから今でもインド、タイ、スリランカなどではどんなに偉い僧侶でもみんな同じ木蘭の袈裟です。
「袈裟のもっとも清らかな衣材(えざい)は糞掃衣である。・・・これを着用するのは、そのまま三世の諸仏の皮肉骨髄を正伝することであり、正法の眼蔵をまさしく相承したてまつることである。・・・袈裟こそ仏弟子たることのしるしである。・・・これを頭のうえに頂いて拝し、合掌してつぎのような偈を誦するのである。
大いなるかな、解脱の服
無相にして福田の衣なり
如来の教えを披き奉じてひろくもろもろの衆生を度せん」 (眼蔵・袈裟功徳)
しかし当時の道元禅師の時代にはすでに糞掃衣の精神は薄らいでしまっていたようです。
「今日本国かくの如くの糞掃衣なし。たとひ求めんとすとも、逢ふべからず、辺地小国悲しむべし。
ただ檀那所施の浄財これを用ひるべし。人天の布施するところの浄財、これを用ひるべし。」(眼蔵・袈裟功徳)
墨染めの衣と木蘭の袈裟で通された道元禅師は釈尊の糞掃衣の精神を心から敬ったからでしょう。
正法眼蔵・袈裟功徳の巻には禅師の袈裟に対する並々ならない想いが説かれていて感銘です。
今日でも仏弟子にとって何よりも大切に扱っている袈裟はまさしく釈尊の遺物(ゆいもつ)の象徴として受け止められているからです。
しかしその一方、緋がどうの黄色がどうの、紫が最上だなどと衣の色で僧侶の階位を決めているのも日本です。
清貧の象徴である筈の袈裟が現代では金襴になっていると知ったら釈尊も道元禅師は仰天されるかもしれません。
また、金襴の袈裟をインドなどに持って行ったらチンドン屋と間違えられるかもしれません。(インドにチンドン屋などないですかね)
合掌