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法話

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法話--平成17年5月--

唯我独尊

その昔お釈迦様はルンビニー園の花園の中で生母摩耶夫人のお腹から生まれるなり、七歩あゆみて右手で天を指し、左手で地面を指し、「天上天下唯我独尊」と申されたとはあまりに有名なお話しです。

人の子が産まれてすぐ歩いて言葉を発するなどとは常識では考えられないことであります。
おそらく後々の神格化により「神話」として生まれ伝えられてきたお話でしょう。
いずれにしろその真偽についてはどうでもいいことであり、問題はその言葉の意味合いであります。
今日はこの言葉について考えてみたいと思います。

「天上天下唯我独尊」・・・この地上においても天上においても唯我ひとり尊し・・・これはお釈迦様自身のことであるのは間違いありませんが、その真意は我々ひとりひとりの人間こそお釈迦様と同格であるということを表しているのです。
このことばこそ仏教の心髄に関するキーワードのひとつと言ってもいいでしょう。

我こそ宇宙、宇宙こそ我なり、我無くして宇宙無く、宇宙無くして我なし。
宇宙の中心が我であり、我こそ絶対の存在である。
我無くして宇宙無し。我即宇宙、宇宙即我となるとこの自己こそ宇宙本質その物であり、宇宙の本質はこの自己であるということになます。

つまりそこは生死を越えた世界であり、自己は永遠不滅であるということになります。
これこそ涅槃の世界であり、極楽の世界なのです。
自己とは何か。その自己を求めて釈尊以来あまたの発心者が命がけで追い求めてきました。
その絶対の存在である自己の追求こそが仏道なのであります。

「仏道をならう」は「自己をならう」ことなのです。
「自己こそ全て」なのであり「全ては自己の中にある」のです。
悟りとはその自己の発見であります。
また修証一如であるから、修行そのものでもあります。

他方、本来の自己から遊離・離脱し、「自分を見失う」状態はやがて妄我妄執の状態に陥いり、良識の判断をなくしてしまいます。
その最たるものを「地獄」といいます。
餓鬼界も畜生界もそれに準じた世界であります。

すすんで餓鬼界や地獄界に堕ちる人なんているわけありません。
しかし、現実この世においてはあまりにも多くの人たちが苦しんでいます。
もちろん避けようのない被害による苦しみもありますが、実は己自身の身から出た苦しみの方がたくさんあるのです。

それは多くの苦しみや不幸は避けることが出来ることを意味しています。
多くの苦しみや不幸は、条件次第ではそれを受けずに済むのです。
その方法と心がけを教えてくれているのが仏教なのです。
われわれは普段から己自身を守るべく心がけと努力をすべきではないでしょうか。

世はまさに健康ブームで、体に良い食べ物、体に良いサプリメント、体に良い運動、体に良いダイエット等等。
体には気を遣っていますが、こころの健康の方がなおざりにされているようでなりません。
そろそろ「こころのダイエット」を考えてみませんか。

現代人のこころの環境はあまりにも悪化しています。
こころの健康には正しい信仰を持つことです。
かけがえのない自分自身のしあわせのためのみならず、さらには家族やみんなのためにも是非仏教を学んでほしいものです。

健康で長生きしたい欲望は尽きません。
肉体は偏った栄養や運動不足は不健康だとよく判っています。
それはそれで上等なことですが、もっと考えて欲しいのは心の健康なのです。
心が病むとたちまち肉体にも影響が及びます。

近来こころの病が途方もない勢いで増えています。
こころの病はひどくなると命とりになります。
今一番必要とされているのはこころのサプリメントであり、こころのケアーです。
こころの栄養は「物」を与えることではありません。

逆に余分な「物」を取り除くことなのです。
重病なストレス症候群や心身症などには専門医のカウンセリングが必要でしょう。
そうならないためにも日頃自己を鍛錬しておく必要があるのです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺