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法話

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法話--平成17年11月--

一切皆苦(1)--苦海の中の魚 --

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静を三法印といいますが、これに「一切皆苦」を加えて四法印といいます。
今回は仏教の根幹教理でもあるこの「一切皆苦」について考えてみましょう。

まず、「人生は一切皆苦」であるとの意味とその本質をしっかり認識することによって様々な苦しみから解放されようとするのが今回のテーマなんです。
認識と自覚の無いところに対応は無いのですから。
「人生はすべて苦から成り立っている」「人生は苦そのものである」という理論をあなたはどう思われますか。多分よく理解できない人が多いと思います。

「毎日案外楽しいし、このまま自然に歳とって何時かは死んでいくだろう。そう大きな好い事も無いけどそう悪い事も無かったし、これからもこの調子で過ぎて行くだろうし、多分そうなるだろう。まあまあの人生かな。」と高をくくっているのではないでしょうか。
今そのように思えるあなたは本当にラッキーでした。

ラッキーだったという意味は単に運が良かったということなんです。
皮肉に聞こえるでしょうか。
皮肉ではなく私の言わんとするところは、今までが例え安泰であったとしてもこれから先は分からないということです。
今まで本当に辛かったこと、悲しかったことが無かっただけなんです。

将来のこと、来年のことのみならず明日のことさえ分からないのが人生なんです。
一寸先が闇と言われるように、一瞬の間に大きく人生が変わってしまった人を私は何人も見てきました。
それも良い方向に変わった例はほとんど無く、大きな不幸に見舞われた例の方が断然に多いのです。

世間には大変な苦しみや悲しみを受けている人が今のこの今数え切れない程います。
毎日が地獄のような生活を送っている人が世界中にはゴマンといるのです。
そんなことは知っていても「他人事」と思っているだけなんです。
しかし、けっして他人事ではないのです。
何時自分の身に降りかかってくるかも知れないのです。

大きな不幸もあれば小さな不幸もあります。色々な苦しみがあるのが人生なのです。
残念ですが人生そのものが「苦」の本質であるという実態をまず認識して欲しいのです。
人が見舞われる様々な「苦」、それをまとめて「四苦八苦」と言います。
生老病死という四大苦に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加えて「四苦八苦」です。

生…生きていること自体肉体的精神的苦痛が伴います。
老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなります。
病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされます。
死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。
愛別離苦(あいべつりく)…愛するものとの別れ。
怨憎会苦(おんぞうえく)…怨みや憎しみを持った者と会うこと。
求不得苦(ぐふとっく)…求めても得られないこと。
五蘊盛苦(ごうんじょうく)…人間の五官(眼・耳・鼻・舌・身)で感じる五感から生れる苦しみ。

全ての人は人である以上この四苦八苦が付いてまわるのです。
程度の差こそあれ人生そのものが四苦八苦なのです。これを「一切皆苦」と言うのです。
もう少し「人間」と「苦」との関係について説明してみましょう。
例えて言えば、人は「苦」という海の中を泳いでいる魚だと思ってください。

魚である以上、その「海」から出ることは出来ません。
その環境から決して逃れられないのです。
ここが一番の問題なんです。
その環境である「海」を変えることが出来ないとすれば、ではどうすればいいのでしょう。

人生はすべて苦であるという点につきましては認識をもって頂いたでしょうか。
認識と自覚の無いところに対応はありません。
次にその対応について考えてみましょう。
実はその「苦の海」の中にあって幸福に生きられるれっきとした方法が存在するのです。
さすが仏教です。次回はその方法について考えてみましょう。

合掌

曹洞宗正木山西光寺