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法話

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法話--平成24年9月--

十三仏(阿弥陀如来)--来世利益の仏さま--

今回は13仏の10番目の仏さまで阿弥陀如来のお話です。
阿弥陀さまを知らない日本人はいません。そんな有名な仏さまです。
大乗仏教における諸仏の中で、もっとも代表的な仏さまのおひとりと言えるでしょう。

三回忌を努める導師で、真言は、「オン アミリタ テイセイ カラウン」で、「威光の無量光明の如来よ、永遠の命を与えたまえ」という意味だそうです。

「アミダ」は、サンスクリット語で「アミターユス」と表現されていたものが中国に伝えられ「阿弥陀」と音写されました。
「アミターユス」は、「無限の寿命をもつ者」「無限の光明をもつ者」という意味だそうです。

阿弥陀仏の支配する世界を「極楽浄土」と言いますが、「極楽」は、サンスクリット語では「スカーバティー」と言って、「幸福のあるところ」という意味だそうです。
「浄土」とは、清らかな苦しみのない幸せに満ちた「仏国土」ということです。

仏さまにはそれぞれが担当する浄土があるといわれ、その数なんと百千億といわれます。
その中で例えば、薬師如来が治める「東方浄瑠璃の世界」や、大日如来が治める「密厳浄土」などが有名です。

ちなみに、釈迦牟尼仏の治める世界を「娑婆世界」といいます。
娑婆世界といえば、我々が今住んでいるこの現世の世界のことです。
すなわち「四苦八苦」、「一切皆苦」の世界のことであり、「忍土」や「穢土」(えど)とも呼ばれています。

その穢土(えど)となっている娑婆世界を本来の浄土にすべく毘盧舎那仏(法身仏)の仏身より遣わされたのが釈迦牟尼仏(応身仏)なのです。
ちなみに、法身仏(ほっしん)とは、宇宙真如そのものを表す仏さまであり、応身仏とは、この世に実在された仏さまのことで、化身仏とも言われます。

ちなみに阿弥陀如来は報身(ほうじん)仏といわれます。
「報身仏」には諸説がありますが、拙僧の持論を言わせていただければ、「法身仏」を「理の象徴」と捉え、「報身仏」を「情の象徴」と捉えたらどうでしょうか。
観音さまや地蔵菩薩など、お釈迦さまが"創造"された諸仏がそれに当たりますが、そのまさに代表格が阿弥陀さまなのです。

娑婆世界とは、本来は「浄土」であるべきなのです。
その「穢土」と化してしまっているこの現世の娑婆世界に出世され今なお説法されているのが釈迦牟尼仏なのです。
法華経「如来寿量品」には、「大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏である」と説かれています。

斯様にお釈迦さまにとって娑婆世界は、まさに「我が国土」なのです。
我々人間にとっては、この現世こそ掛け替えのない仏国土なのです。
この世の「穢土」を本来の「浄土」に化するというのが釈迦如来の本願なのです。

ですから釈迦牟尼仏を本尊とする禅宗の立場は、自ら発心して、この世で救われなければならないとする、いわゆる「自力本願」なのです。
この世で救われることこそ「現世利益」とする考えです。

これに対して、現世で救われない者は誰でも阿弥陀仏にすがれば必ずや来世で救われるとするのが浄土門の立場です。
来世で救われることこそ「来世利益」なのです。

浄土真宗の宗祖親鸞上人は、歎異抄の中で、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な「悪人正機説」を唱えられました。

また、「善人は自己の能力で悟りを開こうとし、仏に頼ろうとする気持ちが薄いが、煩悩にとらわれた凡夫(悪人)は、仏の救済に頼るしかないとの気持ちが強いため、阿弥陀仏に救われる」と説かれています。

極楽往生には厳しい戒律生活や修行などは要求されません。
阿弥陀如来の本願を信じて、ただひたすら阿弥陀さまを念仏すれば、どんな人でも確実に極楽浄土に往生できるというのです。
この「他力本願」の信仰はたちまち多くの人々の帰信するところとなりました。

阿弥陀仏の浄土に往生して悟りを得る教えを「浄土門」と称します。
極楽浄土に往生し、悟りを得るという阿弥陀信仰を説いた主要教典が、「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の三巻です。
法然はそれらを「浄土三部経」と位置づけ、親鸞もそれらを根本聖典としました。

このなかでも「阿弥陀経」は最も浄土の思想が説かれたお経といわれています。
極楽往生を願う者は、阿弥陀の名号を、一日ないし七日間念ずれば往生できると説かれています。
その大意の一部をご紹介しますので、"極楽浄土"を味わってみてください。

仏説阿弥陀経

私(阿難)は次のように聞いた。
ある時、お釈迦様は舎衛国の祇園精舎に、1,250人の僧たちと居られた。
彼らは皆、理想的な修行者として知られていた。

上座の長老である舎利弗、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、などの偉大な弟子たち、ならびに多くの菩薩様である、文殊菩薩、阿逸多菩薩、乾陀訶提菩薩、常精進菩薩などの偉大な菩薩の方々と、帝釈天等の数えきれない大勢の神々と大衆がいた。

その時、釈迦は長老の舎利弗に次のように語った。
ここから西方に十万億の仏国土を過ぎると極楽世界がある。
そこに阿弥陀仏がおられ、現在教えを説いている。

舎利弗よ、その世界を極楽と呼ぶのは、そこの人々には苦しみがなく、楽しみだけを受けるために極楽と呼ばれる。
また舎利弗よ、極楽国土には七重の欄干や七重の珠飾りの網や、並木があり、これらすべてが四種の宝物で取り巻かれているために、この国土を極楽という。
また舎利弗よ、極楽には七宝の池があり、そこには八つの功徳のある水が充満している。
池の底には金の砂が敷き詰められ、池の四方の階段は金銀瑠璃などで飾られている。

池の中には車輪のような大きな蓮華が咲き、青蓮華は青く、黄蓮華は黄色く、赤蓮華は赤く、白蓮華は白く輝いて微妙な香りが漂っている。
舎利弗よ、極楽国土にはこのような徳をそなえた装いが備わっている。

また舎利弗よ、その国土では常に天の音楽が奏でられ、地面は黄金であり、昼夜六回にわたって曼荼羅の花が降る。
そこの人々は、朝には器に美しい花を盛って十万億もの他の国土の仏に供養する。
食事には本国に戻り、食事をし散歩をする。
舎利弗よ、極楽国土にはこのような徳をそなえた装いが備わっている。

また、次に舎利弗よ、その国には色々珍しい色の白鳥、孔雀、鸚鵡、百舌鳥、迦陵頻伽、共命之鳥などの鳥がおり、これらの鳥は昼夜六回美しい声でさえずる。
その音色は五根五力、七菩提分、八聖道分などの教えを説いている。
そこの人々は、この鳥の声を聞き終わると、誰もが仏や教えや僧を念じはじめる。

舎利弗よ、この鳥が罪の報いによって生まれ変わったものと考えてはいけない。
それは仏国土では、地獄・餓鬼・畜生の世界は存在しないのである。

舎利弗よ、仏国土にはこうした悪道の名前すらないので、その実がないのである。
これらの鳥はみな、阿弥陀仏が教えを説くために鳥の姿に変化したものである。

舎利弗よ、その仏国土にはさわやかな風が吹きわたり、さまざまな宝の並木および宝の綱飾りを吹きゆるがせて、妙なる音楽を作り出している。
それは百千種もの楽器が同時に奏でられているようであり、この音色を聞く者は、誰でも自ら仏を念じ、法を念じ、僧を念じる心を生ずるのである。

舎利弗よ、極楽国土はこのように麗しく飾り立たてられている。
舎利弗よ、そなたはどう思うか。
なぜその仏を阿弥陀と申しあげるのであろうか。
舎利弗よ、その仏の光明には限りがなく、十方の国々を照らして何ものにも障げられない。
それで「アミダ」と申し上げるのである。

また舎利弗よ、その仏の寿命およびその国の人々の寿命も、ともに限りなく、実にはかり知れないほど長い。
それで「アミダ」と申し上げるのである。
舎利弗よ、阿弥陀仏が仏に成られてから今日まで、すでに十劫という長い時が過ぎている。

また舎利弗よ、その仏のもとには数限りない声聞の弟子がいて、みな阿羅漢のさとりを得ている。
その数の多いことは、とても数え尽くすことができない。
さまざまな菩薩たちの数も、またまたそのように多いのである。
舎利弗よ、極楽国土は、このように麗しく飾りたてられている。

【中略】

しかし舎利弗よ、わずかな功徳を積むだけでは、とてもその国に生まれることはできない。
舎利弗よ、もし善良な者が阿弥陀仏の名号を聞いて、その名号を心にとどめ、あるいは一日、あるいは二日、あるいは三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日、一心に思いを乱さないなら、その人が命を終えようとするとき、阿弥陀仏が多くの生者たちとともにその前に現れてくださるのである。

するとその人がいよいよ命を終える時、心が乱れ惑うことなく、ただちに阿弥陀仏の極楽国土に生まれることができる。
舎利弗よ、わたしはこのような利益を見ているが故に、このことを説くのである。
もし人々がこの教えを聞いたなら、ぜひともその国に生まれたいと願うがよい。

【中略】

舎利弗よ、もし善良な者たちが、このように仏方がお説きになる阿弥陀仏の名とこの経の名を聞くなら、これらのものはみな、すべての仏方に護られて、この上ないさとりに向かって退くことのない位に至ることができる。

だから舎利弗よ、そなたたちはみな、わたしの説くこの教えと、仏方のお説きになることを深く信じて心にとどめるがよい。

舎利弗よ、もしすでに願いをおこした者、また今おこしつつある者、あるいはこれから願いをおこすであろう者がいて、かの阿弥陀仏の国に生まれようとするならば、みなこの上ないさとりに向かって退くことのない位に至り、その国にすでに生まれ、または生まれつつあり、あるいはこれから生まれるであろう。

だから舎利弗よ、善良な者たちで、もし信心がある者は、ぜひともその国に生まれたいと願うべきである。

【中略】

尊がこの教えを説き終わられると、舎利弗をはじめ、多くの修行僧たちも、すべての世界の天人や人々も、阿修羅などもみな、この釈尊の説法を聞いて、喜びにあふれ、深く心にとどめ、うやうやしく礼拝して立ち去ったのである。
仏説阿弥陀経

以上、想像するに極楽浄土はまさに夢の世界ですね。
お釈迦さまは、誰でも願えば極楽浄土に往生できると説かれているのです。
これは決して"うそ"ではありません。
なぜなら、「極楽浄土」はまさに「情の象徴」だからです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺