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法話

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法話--平成22年7月--

十大弟子(須菩提尊者)--空--

今回は須菩提(スブーティ)尊者のお話です。

須菩提(しゅぼだい)は北インド、コーサラ国の首都サーバティ(舎衛城)のバラモン家系の大長者の家に生まれました。
「祇園精舎」を寄進したといわれるかの有名な須達多(スダッタ)長者は彼の叔父にあたります。

幼少より天才的頭脳を発揮し神童といわれるほどでした。
十歳をこえる頃には諸学を修め学ぶものが無くなったとのこと。
しかしその慢心からやがて他人を見下すようになり、世の中さえも蔑視するようになってしまったのです。

甚だしい虚無主義と、その性行からついに両親からも見放され、突然家を出てしまったのです。
数年間の放浪の末、幸いにも祇園精舎に至りました。
そこで釈尊の説法を聞き深く感銘し、ついに釈尊の弟子になったのです。

そして数年の修行と釈尊の教導の下、無諍(むそう)第一といわれるようになりました。
「無諍」とは「言い争わない」という意味です。
かつてのあの横柄傲慢な人がまさに悟りを得て生まれ変わったのでした。
その穏和な性格から教団内では勿論のこと、在家の人々からも広く慕われたといわれます。

あるとき、釈尊が亡き母・麻耶夫人のための説法を終えたとき、「須菩提は空を感じ私の法身を拝謁した」と言われたそうです。
その「空観」の悟りから「解空第一」と称せられ、諸弟子の中でも特に尊厳を集めたといわれます。
「解空」の「空」とは「色即是空」の「空」のことです。つまり「空」を理解した人ということです。

ある日須菩提尊者は釈尊に「空」について教示を求めました。

須菩提

「世尊の説かれます法の中でもっとも難解なものの一つが『空』だと思いますが、これを説明していただけるでしょうか。
また『無我』とはどのような違いがあるのでしょうか」

世尊

「『無我』も『空』もまったく同じものだ。その意味するところは『存在するものにはすべて実体は無い』ということである」

須菩提

「たとえば、わたくしという人間は、少なくとも生まれた瞬間から現在に至るまで存在し続けてきているという現実があります。
その現実は『わたし』無しには存在しないと思われるのです。
その『わたし』の実体が無いことが納得できません」

世尊

「その『わたし』を考えてみよう。
昨日の自分と今日の自分とは何の違いもないように思えることが問題なのだ。
昨日の自分と今日の自分、そして明日の自分とは同じ自分ではないのだ。
なぜなら『諸行無常』であるからである。
つまり、存在する一切のものは一瞬たりとも同じ状態でとどまってはいないということだ。
つまり、『わたし』という存在は、一瞬一瞬違った存在として生きているのであるから固定的、不変的な『我』と呼べるような実体は無いのである」

須菩提

「では、生まれてから死ぬまでの間に存在し続く『わたし』というのは、一体何なのでしょうか」

世尊

「それを『仮我』(けが)というのだ。
実在するように見えてもその実体は仮の存在に過ぎないということだ。
『わたし』の存在もすべての存在もあえて言葉で説明するならば、『色即是空・空即是色』であり『色不異空・空不異色』だということだ。
つまり、色とは形のことであり、空とは形の実体のことである。
同時にその色と空とは同事だということだ」

須菩提

「『空』の実体とは具体的にはどんなことでしょうか」

世尊

「『形あるもの』の実体は『現象』だということだ。
現象とは、つまり地・水・火・風という素元素の融合離散の姿に他ならない。
だからその実体の本質を表しているのがすなわち『空』なのである」

須菩提

「なるほど少しわかりかけてきました。
形あるものの実体は空であるから無常なのですね。
そのすべてが現象である以上、永遠に不変なものや不滅なものなど無いことがわかってきました。
『空』の意味がわかって、はじめて『諸行無常』と『諸法無我』の意味がわかてきました」

世尊

「その『空』の実体を表した言葉が諸行無常、諸法無我、涅槃寂静である。
これを三法印と言うが、これこそわたしの説く『空論』である。
だから三法印を理解することが『空』を悟ることであり、『空』の姿が三法印だということである。
さらに言えば、『空』をさとることで同時にわかることが『縁起』である。『縁起論』こそわたしの説く無上菩提である」

須菩提

「『空』と『縁起』の関係がよくわかってきました。
因果必然の道理はまさに『空』そのものだったのですね。
わたしはこれから益々精進して『空』を学び縁起論の布教に務めたいとおもいます」

拙僧の論法で言えば「空」とは「からっぽ」の中に「すべてが在る」ということ。
これが「空即是色」です。その逆、「すべてが在る」のは「からっぽ」の中、というのが「色即是空」です。
これが〝机上の空論〟であるうちは絶対に「空論」は理解できないでしょう。

「色」と「空」が「同事」だと分かることが命題だと般若心経は説いています。
己自身が「空」の存在だと分かることで、己こそ「久遠仏」だと分かるのです。
久遠の命を悟ることで人生観が変わります。

合掌

曹洞宗正木山西光寺