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法話

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法話--平成27年4月--

四諦--苦諦その4 病苦その2 病気にならない生き方その20
アレルギーその4 戦争アレルギーその2

戦後70年にあたり、天皇、皇后両陛下は、太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国に慰霊の訪問をされました。
かねてよりの強い希望であったとのこと。
80歳を超えたご老体(失礼)をおしてのご訪問、何が両陛下をそこまで駆り立てるのでしょうか。

渡辺允(まこと)・前侍従長は「戦争を知らない世代が増え、次第に戦争が忘れられていく。陛下には焦りにも近い気持ちがおありになるのでは」と話されました。
確かにその通りかも知れませんが、拙僧的には、天皇こそ「戦争アレルギー」を抱えている第一人者だと思うのです。

天皇は今年の年頭のごあいさつで「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。‥‥‥中略‥‥‥この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」と述べられています。

 

特に「今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」という一節は極めて重要な意味を持ちます。
それは、この言葉のニュアンスに、「このままではだめですよ」という明白なメッセージが込められているからです。

象徴天皇として決して政治的な言動を行使することはできないお立場にあって、慎重にお言葉を選びながら、あえて最大限踏み込んでのお言葉だったと思うのです。
そこには昭和天皇から引き継がれた先の大戦への慚愧の念に満ちた想いがあってのことではないでしょうか。

「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいったあまたの将兵に想いを致すとき、天皇ご自身の心中の辛さは如何ばかりのものだったか。
「天皇の戦争責任論」が論議された時期もありました。
そのご心痛とご苦労は我々凡人にはとても計り知れません。
天皇陛下ご自身まさに生き地獄を経験されてきたのです。

その想いが強烈な「戦争アレルギー」となって今の天皇に受け継がれているのはまず間違いないでしょう。拙僧はそう思います。
然るに、そのお言葉と行動力のなかに天皇陛下の優しさと「絶対に戦争を繰り返してはならない」という痛切なメッセージを感じ心から感服いたします。

側近によりますと、天皇陛下は即位してから何度となく、第二次大戦の激戦地となって多くの犠牲を生んだ旧南洋諸島の国々を訪問したいとの希望を口にしていたといわれます。

戦後60年の節目にはサイパンの地を踏み、「バンザイクリフ」で黙とうし、70年の節目が今回の満を持してのパラオ訪問でした。
日本兵12,000人のうち僅か34人しか生き残らなかったという激戦地ペリリュー島への慰霊。
日本政府が建立した「西太平洋戦没者の碑」に供花し、さらに「米陸軍第81歩兵師団慰霊碑」にも献花されました。

「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」
出発の際に天皇陛下が語った言葉は、戦後を生きるすべての人に向けられたメッセージと受け止めるべきでしょう。

イヤ、天皇陛下の思いはむしろ安倍総理に向けてのメッセージだったのかもしれません。
しかし、臨場で直接お言葉を聞かれた当のご本人は正に馬耳東風、馬の耳に念仏だったようです。
拙僧的にはそう思われますが、どうでしょうか。

天皇陛下ご自身、過去の反省はもちろんのこと、今の日本の危機を痛く感じ取られているのです。
戦後70年の節目に合わせての平和メッセージと渾身の思いのパラオ訪問、等。
そんな天皇陛下の想いとは真逆の方向に安倍政権は暴走を始めました。

安倍政権の発足から2年半。日本の安保政策の転換が急ピッチで進められています。
この27日、日米両政府は日米防衛指針を18年ぶりに改定し、日本が集団的自衛権を使うことを盛り込み、米軍への後方支援の地理的制限をなくしたのです。
自衛隊の米軍への協力を地球規模に拡大する内容で、自衛隊のあり方が根本から変わるのです。

これはとんでもないことです。
国会や国民の議論もなしにアメリカと一緒に戦争ができるということです。
戦場に「後方支援」なんて"特別区"なんてありません。敵から見れば一緒です。
憲法九条がまさに踏みにじられているのです。
これがまかり通れば、日本はもはや立憲国ではありませんし、日本人は皆「平和ボケ」ならぬ正真正銘の「平和バカ」にほかなりません。

作家の森村誠一さんも投稿文の中で怒っています。

「安倍政権の暴走は加速の一途をたどっている。憲法9条を無視して、自衛隊を事実上の『日本軍』にしようとしている。いつでも、地球上のどこでも戦場の時空を拡大して『戦争自由国家』に改造したいようだ。

この方針には、憲法のために国があるのではないという考えが透けて見える。 9条がなぜ生まれたのかを思い起こしたい。多数の国民を失い、国民ひとりひとりの人生を破壊し、日本全土を焦土と化した戦争を二度と繰り返さない決意が、9条を生んだのだ。

それを、あろうことか一内閣が、他国の軍事的脅威に対応するためと称して国家の最高法規を解釈憲法で変えようとしている。それは当然、日本がかつて侵略した国家に不信感を生む。潜在的な仮想敵国の日本への敵意をあおる。

軍国主義国家として悪名高かった日本が永久不戦を世界に宣言した事実を立法府も忘れ、国民の反対を押し切って、最高法規である憲法に平然と違反することをしようとしている。今の政権は、大量殺人を犯そうとしている。」

国際社会で日本の軍事的な関与が強まれば、それだけテロの危険も高まるでしょう。
近年は、警備の手薄な「ソフトターゲット」が攻撃されるようになりました。
外交官やNGO関係者ら日本人対象のテロを、より切実な問題として国内外で想定しなければなりません。

これから、過激派組織ISとの戦いで自衛隊が米軍の後方支援に派遣される可能性も出てきました。
南シナ海では、すでに米軍が警戒監視などの肩代わりを自衛隊に求め始めているとか。

政府が急いで特定秘密保護法の整備を進めてきたのも、政府全体で秘密を共有し、対米協力を進めるためだったのです。
国内の合意もないまま米国に手形を切り、一足飛びに安保政策の転換をはかるのは、あまりにも強引すぎます。

ノンフィクション作家の梯久美子氏は「戦争は、突然くるのではない。じわじわじわじわくる。そしてある日戻れなくなる」と言っています。
米国に手形を切ってしまった以上、空手形は許されません。
「ある日戻れなくなる」という「実感」がわかります。

戦後70年の節目、それはまさに平和か戦争かの節目なのです。
それには国民が「戦争アレルギー」をもっと"発症"させて、「日本を取り戻す」しかないのです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺