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法話

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法話--平成19年6月--

因縁(その3)-- 輪廻転生 --

前回はみかんを例に原因と結果の流れについて述べましたが、その原因と結果の間にあるものが「縁」です。
しかし、実際にはその縁は複雑多岐に入り混んでいて決して単純なものではありません。
それは人の説明など人知の及ばない妙たるものなのです。

例えばみかんの「種」は全てが育つわけではありませんし、実際には育たない種の方が多いと言えるでしょう。
種が種として育たずに腐ってしまう方がずうっと多いのです。
一個の種が育つ確率はほんのわずかなものなのです。

ここで何が言いたいかと申しますと、それぞれの種が育つかどうかはすべて「縁」次第なのですが、種が途中で腐ってしまったからといってその本質が消滅してしまうわけではないということです。
種が種としての機能が無くなってもその本質は別なエネルギーとなって新たな次の物を形成していくのです。

種としての機能は無くなってもその実体は「現象」ですから質量に変わりはありません。
ただ因縁によって次の形態をとるのです。
ちょうど酸化と還元の繰り返しのようなものといったらよいでしょう。
ここまでは理論的にも容易に理解できると思いますが、そこで問題なのは人の場合です。

人には「魂」というものがあります。
死んだらその魂はどうなってしまうのでしょう。
これこそ人類最大のテーマなのです。
このテーマのために人類には宗教があると言っても過言ではないのです。

ほとんどの宗教はその魂の鎮魂のため冥福のために存在していると言ってもいいでしょう。
宗教には現世利益も勿論ありますが、多くはあの世の冥福を信じるから入信するのです。
中東では毎日のように自爆テロが起きていますが、神の下で救われると信じるからこそ決行できるのです。
その認識の賛否は別としてその実態は魂のありようを示しているのです。

では仏教では魂をどう捉えているのでしょう。
これまで私は、人も「存在」であるから現象であり無常であると申してきました。
では自分も死んだら雲散霧消のごとくただ消滅してしまうのでしょうか。
だとしたら、なんとはかない、さびしい、つまらないことではないでしょうか。

それは大きな誤解です。
あなたは永遠の命を持っているのです。
「えっ? だって現象である以上消えて無くなるのではないの?」という疑問も当然です。
その疑問に答えるのが今回のテーマですから、これからが大事です。

では「永遠の命」って何でしょう。
それが「仏性」なのです。

「一切衆生、悉有仏性」
「悉有は仏性であって、その悉有の一つのありようを衆生というのである。
衆生はその内も外もそのまま仏性の悉有である。」「正法眼蔵(仏性)」

一切衆生、悉有仏性であるということは、人は死んでも仏性はそのままであり、永遠であるということです。
これがすなわち「永遠の命」です。
人の魂を仏性と捉えたならば、その命は永遠ということが理解できます。

どうですか。あなたは死んでも死なない命を持っているのです。
そして今自分がここに存在しているという事実が過去の自分の「存在」と未来の自分の「存在」を証明しているのです。

難しいですか? つまり、今自分がここに居るという事実はそれを結果としたら、過去にさかのぼって自分がいたということの証(あかし)であり、同時に未来に自分が存在するという証でもあるということです。

その「存在」の流れを「輪廻転生」というのです。
ふつう輪廻転生というと霊魂が単に次々と生まれ変わりをすることだと理解する人が多いようですが、この場合の「魂」とはいわゆる霊魂不滅説による解釈です。

しかしこの解釈ははっきり言って誤解です。
霊魂の本質を知らないでただ不滅の存在であるととらえるのは妄想です。
霊魂の本質が仏性だと認識し、このことが悟りの智慧として理解できたら、霊魂は不滅であり永遠に輪廻転生するというほんとうの意味が分かってきます。

すべての「存在」の本質は仏性であり、それはただただ因縁の流れに従って形態を変えていく永遠の流れであるという・・・これを輪廻転生というのです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺