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法話

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法話--平成23年6月--

十三仏(釈迦牟尼仏)--その3 教団興隆--

3ヶ月以上経っても原発の被害はひどくなる一方です。
メルトダウンどころか、実態はメルトスルーになって、核燃料が地中まで浸透しているという。
いまさら水をかけても意味がない段階まできているとか。
これから先一体どうなっていくのか、心配と怒りで一杯です。

「党のメンツはどうでもよい。菅おろしなどどうでもよい。10万人が風呂に入れるようにしてくれ」という声に早く応えてほしい。
いつの時代でも国民は支配者に翻弄されるものです。
例え民主主義社会といえども、権力の下に犠牲になるのは一般国民です。

今回の大震災による原発事故も、政府と電力独占企業の権力と奢りによってもたらされた結果と言えるでしょう。
それは因果必然の理による当然の結果だということです。
一民間企業が10兆円もの賠償を負うという、歴史に残る前代未聞の大失態に、情状酌量の余地はありません。

拙僧がなぜこんな厳しいことを言うかというと、それは政府、東電が、原発の事故の実態を正直に公表してこなかった対応にこそ、その腐った体質と本性が表れているからです。

津波直後、冷却システムが不能となってから間もなくメルトダウンは始まっていたという事実は識者、関係者の間では端から判っていたことだという。
事態を正直に指摘した中村審議官が会見直後に飛ばされてしまったことなどまさに事実を隠蔽しようとした証拠です。

さらに、NHKをはじめ大手マスコミメディアまでも、こぞって、政府の発表以外の情報を国民に知らせようとしなかった事も分かりました。
日本のメディアには政府贔屓の風潮があることも分かりました。

ほんとうのことは、政府としがらみのない一部のジャーナリストや海外メディアからの情報でしか伝えられなかったというのですから唖然です。
日本のメディアに権力に阿る体質があるとしたら実に裏切られた思いです。
NHKや新聞に高い金を払っているのが馬鹿らしくなってきました。

国民に真実が伝わらない社会はもはや民主主義社会とはいえません。
愚かな政府と傲慢な電力独占企業に対してのガバナンスを無くしてしまったところにこそ、まさに今回の原発事故の原因があったと気づくべきです。
国民はもっと怒るべきです。

弟子達の台頭と危機

釈尊の父スッドーダナ王の帰依と庇護により教団はいよいよ巨大化していきました。
特にサーキャ族(釈迦族)からは、釈尊の実子ラーフラ(後のラゴラ尊者)をはじめ、従兄弟のアーナンダ(後の阿難尊者)とアヌルッダ(後の阿那律尊者)と、理髪師のウパーリ(後の優離波尊者)などが続々と出家し釈尊の弟子になったことは前回述べました。

祇園精舎の土地を寄進したのが給孤(ぎつこ)長者ですが、その甥に当たるのがスブーティ(後の須菩提尊者)です。
常日頃伯父から釈尊のことを聞かされていたスブーティはある日祇園精舎に釈尊がお見えになると聞き、説法を伺いに行った結果その偉大さに魅せられて出家してしまいました。

これまで十代弟子の内八人について触れました。
あと二人がプンナ(富楼那尊者)とカチャーヤナ(迦栴延尊者)です。
二人とも弁舌に優れていましたが、プンナは主に庶民を相手に説法をして大衆から尊敬され「説法第一」と称えられました。

カチャーヤナは主に国王や貴族を相手に主に知識層の人たちといわゆる〝ディベート〟を通して布教されたのです。「論議第一」と称えられました。
以上十大弟子の他にあと特異の弟子を三人紹介しましょう。
その内の一人が「殺人鬼アングリマーラ」です。

コーサラ国の首都シラーバステにいたアングリマーラは、師に師の妻との関係を疑われ、「千人を殺し、その指を首飾りにして持ってこなければ許さない」といわれたのです。

彼は99人の殺人を重ね、あと一人で千人となった時、彼はなんと自分の母親に襲いかかったのです。
そこへ釈尊が現れ、諄々と教え諭したのです。自分の罪深さに目覚め、仏弟子となったのです。
それからの彼は別人のようにひたすら修行を重ね、ついに悟りを得たのです。

しばらくして、殺人鬼を捕まえようとバセーナデ王が500人の兵を従えてやってきました。
事情を知った釈尊は言いました。
「もし殺人鬼が私のもとで修行し、悟りを開いていたらどうしますか」

それに対して王は「捕える代わりに供養します。でもそんなことはありえません」と答えたのです。
そして、仏陀・釈尊の指さした先には、静かに禅定にいるかつての殺人鬼アングリマーラがいました。
その崇高な姿を見た王と兵士達は思わず手を合わせたといいます。

二人目の特異の弟子は、「最も愚かな弟子」と言われたチューラパンタカです。
彼は、短い経文を4ヶ月かけても覚えることが出来ずにいました。
同じように出家した兄からは「とても悟りは開けないだろう。諦めて家に帰った方がよい」といわれたのです。

それを知った釈尊は、彼に一枚の布を渡し、「これからは、毎日やってきた人の衣や履き物の埃をこの布切れで払ってあげなさい。その時『塵を払え、垢をとれ』と唱えなさいと申しつけられたのです。

来る日も来る日も、チューラパンタカは釈尊の教えの通りを実行したのです。
そして何年か経ったある日、彼は突如悟ったのです。
それは、『塵を払え、垢をとれ』とひたすら唱えたことで、彼の心の中の塵と垢である一切の煩悩が払拭されてしまったのです。

拙僧この話を知って私的に納得できるのは、『塵を払え、垢をとれ』の一句は当に「無字の公案」であったということです。
公案はすべからく一切の煩悩からの解脱の手段ですから、まさに徹底単提の結果、本来の面目に遭遇されたということです。

多くの弟子の中には様々な弟子がいるものですが、最後に最悪と言われた三人目の弟子の話を紹介しましょう。
アーナンダ(阿難)の兄弟のデーバダッタ(堤婆達多)です。
アーナンダは釈尊の従兄弟ですから、彼もまた釈尊の従兄弟ということになります。

彼は釈尊の元で出家し、早い時期から頭角をあらわしました。
しかし、釈尊の晩年、巨大化した教団の統制を図るため、教団内に厳しい五つの戒律を提案したのです。

ところが、釈尊にその戒律は厳しすぎると認められず、さらに極端な行動を戒められたのです。
それに腹を立てたデーバダッタは、賛同する500人を引き連れ、釈尊のもとを去ったのです。

さらに彼は教団の乗っ取りを謀り、なんと釈尊の暗殺を企ててしまったのです。
刺客を何人も放って暗殺を謀りました。しかし、みな釈尊に教化されて失敗してしまいました。

霊鷲山の上から、下にいる釈尊目がけて石を転がしたり、巨像に大量の酒を飲ませ、托鉢中の釈尊を襲わせたりしたのですが、どれも失敗してしまいます。
最後に、デーバダッタは、自分の爪の間に毒を塗り釈尊を傷つけ毒殺しようとしたのです。
ところが、指先の小さな傷から毒が回り、自分の命を落としてしまったのです。

教団にはいくつもの危機があったのですが、拙僧が思うに、その最大のことは、釈尊が最も信頼していた二人の高弟の死だったのではないでしょうか。
サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)との死別です。

二人は幼なじみの親友で共に出家し、初期の教団をまとめあげました。
特にサーリプッタ(舎利弗)は、般若心経の中に見られるように、釈尊より「舎利弗よ」と呼びかけられるほどの存在感のある立場だったのです。

目連は盂蘭盆の故事で有名ですが、彼は異教徒に対しては特に厳しく、釈尊のボディーガード役となって師・釈尊を護りました。
過度の排斥行動から異教徒の恨みを買って最後は撲殺されるという悲惨な運命でした。

二人の死後間もなく、釈尊は弟子達を見回して申されました。
「今ここに二人がいないことは大きな損失だ。しかし悲しんではいけない。すべてのものは無常である。大樹の葉が繁るとまず先に大きな枝が折れるのと同様に、二人は先にこの世を去ったのだ」

そして、釈尊はサーリプッタの遺骨を右手に乗せ言いました。
「いま一度、わが子の遺骨を見よ」
アーナンダ(阿難)は号泣しました。

合掌

曹洞宗正木山西光寺