今月は、なでしこジャッパンの活躍に久しぶりに日本中が沸きました。
体格に勝るドイツやアメリカの選手を相手に物怖じせず果敢に立ち向かい、優勝した結果はまさに奇跡の感があります。
しかし、今回の勝利は偶然に得られたものでは決してありません。
それは、笑顔の監督の下、勝利を信じ、お互いがお互いを信じ切って、最後まであきらめない気持から幾つもの奇跡のゴールが生まれたといえるでしょう。
大型選手を振り切り、交わし、伸び伸びプレーする姿は、「柔よく剛を制す」の諺通り、判官贔屓の日本人にはたまらない興奮を与えてくれました。
決勝戦では、アメリカよりも日本を応援してくれた国が多かったとか。判官贔屓の感情は世界共通のものかもしれませんね。
しかし、人生にもスポーツにも奇跡なんてありません。
大事なことは、勝利を信じ仲間が一体となって、さいごまであきらめないで戦うフェアプレー精神です。
そうすればそこに奇跡とも言える結果が生まれるのです。
結果はすべて原因と縁で決まるのです。
今回なでしこジャパンがそれを証明してくれました。
今後世界が「やまとなでしこ魂」を研究し始めるかもしれませんよ。
せっかく咲いたなでしこです。つぎは国民が守ってあげる番かもしれません。
今朝の新聞に載っていた川柳です。
「咲かすより枯らさぬ努力なでしこを」
その隣にありました。
「あと二つ民主党にもメドコール」
その近くにありました。
「事故車両埋めて世界の開いた口」
不安と不人気の日本の政府ですが、中国の非人道的闇政権よりはましかもしれません。
政治家こそフェアプレー精神を身につけて欲しいものです。
仏の顔も三度
釈尊の出身サーキャ族(釈迦族)は実は釈尊存命中に滅亡したのです。
今回はその経緯についてお話しましょう。
当時のインドはコーサラ国とマガダ国の二強が覇権を争っている時代でした。
釈迦族のカピラバットウ国はコーサラ国の属国だったのです。
コーサラ国の前王バセナーディ王が特に釈尊を崇拝し深く仏教に帰依していた縁もあって、現国王は、妃を娶るにあたり、釈尊出身の地である釈迦族から妃を迎えたいと願い、使者を釈迦族に遣わせたのです。
ところが、この使者が問題でした。属国の釈迦族が妃を差し出すのは名誉なことだし、当然だという横柄な態度に釈迦族の人たちはすっかり臍を曲げてしまったのです。
長年コーサラ国の属国として隷属に甘んじていた釈迦族にとって好ましい縁談ではなとして、ある王族とその召使いとの間に生まれた娘を王族の嫡子と偽って嫁がせてしまったのです。これがすべての悲劇の始まりでした。
何も知らないコーサラ国王は、その見目麗しい娘を第一夫人として寵愛したのです。
やがて男の子が誕生し、バドーダバと名付けられました。
その王子が八歳になったとき、弓術を習うため母の故郷カピラバットウ国に留学することになったのです。
その母の故郷で知らされたのはなんと母の出生の秘密でした。
バドーダバ王子は下女の子という理由からひどい屈辱を受けたのです。
若い王子が受けた心の傷は相当のものでした。
やがて成長し国王となってもその怨念は収まることはなく、ついに釈迦族を滅ぼそうと決心するに至ったのです。
コーサラ国王となったバドーダバは大軍を率いてカピラバットウに出兵します。
事態を知った釈尊は、母国を想うあまりなんとか侵攻を止めさせようとして、コーサラ軍の通る道端の枯れ木の下で坐禅をされたのです。
そこに通り掛かったバドーダバ王は釈尊に訳を尋ねました。
「お釈迦様、他に繁った木があるのに、なぜ枯れた木の下にお座りですか」
釈尊は答えました。
「枯れ木でも親族の木陰は涼しいものです」と、滅び行く一族を枯れ木に例え暗に撤退を願ったのです。
その思いを汲み取ったバドーダバ王は、そこから軍を取って返したのです。
しかし、怒りの収まらない国王は、やがて再び進軍を始めます。
そして、その時も同じ場所に釈尊は坐禅をされていたのです。
偉大な釈尊の前を素通りすることも出来ず、軍は再び折り返したのです。
その後さらに三度目の侵攻があり、同じように釈尊の禅定のお姿にコーサラ軍は進軍を諦め引き返したのです。
そして、やがて四度目の侵攻が始まりました。
しかし、その時には、もはやそこに釈尊のお姿は有りませんでした。
釈尊は、「滅びゆくものは滅び行くにまかせるしかない・・・」と申され、遠くからコーサラの進軍を見送ったのです。
「仏の顔も三度まで」・・・でした。
釈尊の故郷、サーキャ族(釈迦族)の小国カピラバットウ国はこうして大国コーサラ国の大軍に為す術もなく滅亡したのです。
宗道者は政治とは無縁でなければならないと政治不介入を貫いた釈尊が、その生涯において唯一政治に関与された出来事でした。
弟子の目連尊者がその神通力を使って釈迦族の救済を申し出たのですが、釈尊は、「釈迦族は今日、宿縁がすでに熟した。今まさに報いを受くべし」『増阿含経』と申され、目連の申し出を断り、すべては因果必然の業報だと教示されたのです。
釈迦族の滅亡への因果の流れは、世尊お釈迦さまにしてさえ、どうすることも出来なかったのです。
その「因果業報」は、個人のみならず、団体、社会そして国家、さらには地球全体にも及んでいる道理なのです。
今日本が直面している最大の問題は原発事故ですが、その因果の悪影響が日本中のあらゆる個人、家族、会社、団体、地方、国家のみならず、諸外国までも巻き込んでしまっています。
原子炉から流れ出た核燃料がコントロールできないように、一端流れ出た因果の流れは途中で止めることは絶対にできません。
人生に想定外はつきものですが、人は自己責任による不幸だけは避けなければならないことを釈尊は示されたのです。
すべての個人、会社、団体、そして国家が、「修善奉行」「諸悪莫作」の教えを今一度肝に銘じるべきでしょう。
合掌