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法話

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法話--平成24年2月--

十三仏(文殊菩薩)--知恵に智慧なければ煩悩にすぎず--

今回の主人公は「三人寄れば文殊の知恵」で有名な文殊菩薩です。
「三七忌」の導師で智慧の菩薩といわれます。
文殊は文殊師利(もんじゅしゅり)の略称で、妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)ともいいます。真言は「オン・アラハシャノウ」です。

釈迦三尊・・・

釈迦三尊とは、釈迦如来を中尊とし、脇侍(きょうじ、わきじ)として左に文殊菩薩、右に普賢菩薩を配置する仏像安置の形式の一つです。
(両脇侍として薬王菩薩と薬上菩薩、観音菩薩と虚空蔵菩薩や、梵天と帝釈天を配する例もあります)

文殊菩薩の造形はほぼ一定していて、獅子の背に蓮華座に座しています。
右手に智慧を象徴する宝剣を持ち、左手に経典を乗せた蓮華を持っています。
文殊菩薩が登場するのは初期の大乗教典、般若経です。ここでは釈尊に代わって般若の「空」を説いています。

文殊菩薩の徳性は、悟りへ至る最も重要な要素である智慧です。
智慧は般若を意味し悟りを意味するものです。
その「智慧」が「知恵」の象徴となって、「文殊の知恵」ということわざが生まれたのです。

維摩経には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈尊の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記されています。

では、文殊菩薩は実在した人物だったのでしょうか。
実は文殊菩薩が実在したという事実はありません。
しかし観世音菩薩などとは異なり、そのモデルとされた人物が教団内に存在したのではないかと考えられています。

聖僧・・・

智慧と般若(さとり)の徳性を兼備されていることから、特に禅宗においては、修行僧の理想を表す聖僧(しょうそう)として、僧堂の中央に安置されています。

坐禅中、修行者の肩ないし背中を打つ棒がありますが、これを警策と言います。
(曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と読みます)
警策は、「警覚策励」(けいかくさくれい)の略で、修行者に対して集中力を高めるための文殊菩薩の手の代わりと言われます。

通常警策はそのように使用されるものですが、時として「罰策」(ばっさく)として用いられることがあります。
「罰警」(ばっけい)とも言われ、雲水(修行僧)が規矩を破ってしまった際、文字通り「罰」として警策で打たれることをいいます。

拙僧も本山で、矢鱈打たれて肩が腫れて仰向けに寝れなかったことを思い出します。
特に旦過寮や攝心中には厳しく、策励の音が鳴り響いていることに今でも変わりはありません。

警策は文殊菩薩からあずかるものですから「打つ」とか「叩く」とは言いません。
それは、「与える」ものであり「いただく」ものですから、与える者もいただく者も合掌に始まり合掌に終わります。

ただ、時として僧堂の威を借りて新参者に行き過ぎた警策が振り舞われることがあります。
修行に厳しさは当然ですが、そこに私的な差別感情などがあったならば、たちまちいじめや暴力になってしまいます。自重心なくして僧堂の威厳はありえません。

もんじゅ・・・

ところで、「もんじゅ」と言えば、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉です。
名前の由来は、若狭湾に面する天橋立南側にある智恩寺の本尊・文殊菩薩から来ているといわれますが、果たして文殊菩薩のご加護とご利益はあったのでしょうか。

高速増殖炉は約20年前まで、ウラン燃料の有効利用促進のため米国、フランス、ロシア、イギリス、ドイツ、日本などが積極的な開発をすすめてきた原子炉の一種で、ウラン資源を事実上数十倍にできるまさに「夢の原子炉」と言われるものです。

しかし、開発中の高速増殖炉の多くが何らかの事故を起こし、安全性への疑問が多く、将来の経済性までも含めて政治的判断によって開発を断念する国がほとんどで、日本でも「もんじゅ」はナトリウム漏れ火災事故(2010年)以来運転が中止されています。

すでに多くの国が高速増殖炉の開発を中止しましたが、今なお、フランスをはじめ日本、ロシア、中国、インドなどが開発を行っています。
しかし、実用化は2030~40年頃になるとされていますが、それも確証などありません。

運転停止中の「もんじゅ」の開発に総額約1兆811億円が支出されたとか。
このうち約830億円を掛けて建設された関連施設は全く利用されていないとか。
今のところ文殊菩薩のご利益は全くありませんが、勝手に名前を使われた文殊菩薩こそ迷惑千万。
ご自身には責任は一切ありません。有るとするとその命名者でしょうか。

また、「もんじゅ」がある同じ福井県敦賀市には「ふげん」という新型転換炉がありましたが、2003年に廃炉になりました。
その高レベル放射性廃棄物の恒久処理に数千年から数万年かかると言われています。
さらに、その廃炉コストに約2千億円かかると言われています。

福井県には曹洞宗大本山永平寺があります。
布教部長の西田正法老師の話によりますと、新型転換炉「ふげん」と、高速増殖炉「もんじゅ」の命名にお寺(永平寺)が関わったとのこと。

「いずれも菩薩の名前に由来したものだが、福島第1原発事故を踏まえて、事故の影響は子々孫々に及ぶ取り返しのつかないものであり、原発は仏教の教えに相反するものだとして、これまでの認識不足への反省と、私たちの責任は重く、懺悔(さんげ)することから始めたい」と自戒されているとか。

「もんじゅ」も「ふげん」も、全ては国民のため良かれと思って科学の粋を集めて巨額のお金を投資して行ったまさに国家的プロジェクトでした。
文殊菩薩が智慧の象徴であるならば、科学の"知恵"はまだまだ悟りの"智慧"には遠く及ばなかったということでしょうか。

普賢菩薩が理知の象徴であるならば、人の"思慮"はまだまだ仏の"理知"には遠く及ばなかったということでしょうか。
先にもふれたように、文殊菩薩も普賢菩薩も、その御利益は何も無かったということでしょうか。

いやいや拙僧はそうではないと思いますよ。
科学万能を信じ、生活の豊かさが人の幸福の証だと信じて突き進んできたその認識こそが厄であって、仏の"智慧"にこそ真の幸福があると気付かされたのであれば、これこそ真の御利益と言えるのではないでしょうか。

曹洞宗大本山永平寺が命名に関与された結果、文殊菩薩と普賢菩薩による御利益があったと考えれば、反省や懺悔などせず、現場に菩薩像を建ててその御利益の程をアピールされたらどうでしょうか。(居直りではありませんよ)
曹洞宗はもっと自信を持ちましょう。

合掌

曹洞宗正木山西光寺