今回は13仏の11番目の仏さまで阿閦如来のお話です。
「あしゅく」とは、梵名アクショービヤと言って、「揺るぎない」という意味があり、悟りを求める誓願と菩提心が金剛(ダイヤモンド)のように堅固であることを示しているといわれます。
七回忌を努める導師で、真言は、「オン アキシュビア ウン」で、不動の菩提心と三毒(貪・瞋・痴)の心を鎮めてくれるといわれます。
その由来は、東方の千仏刹(千におよぶ仏国土)を越えたところに阿比羅堤(あびらだい)世界があり、その浄土で一人の比丘がさとり求める菩提心を発し、瞋恚(怒り)を断ち、淫欲に溺れないことを誓って精進し、ついにさとりを得て成仏しました。
師の大日如来よりその誓願と精進の堅個さを称えられ、その比丘は阿閦(あしゅく)の名号を授かったといわれます。
爾来阿しゅく如来は今も、その浄土において説法を続けておられるといわれます。
その容姿は黄色(又は青色)にして左手を金剛拳にして臍に安置して膝に置いて、右手を垂れ指頭を以って地を押しています。
すなわち阿閦觸地の印相を結んでいるのが特徴と言えるでしょう。
密教では、金剛界において五智如来(大日、阿閦、宝生、阿弥陀、不空成就)の一人とされています。
東方にあって、「大円鏡智」の徳を備え諸悪の煩悩を破壊し、菩提心を顕現する仏とされます。
「大円鏡智」とは、森羅万象の真実の全てを映し出す悟りと智慧の鏡という意味です。
禅宗では卒塔婆の頭によくこの句を書き入れています。
前回の阿弥陀如来とは対象的に、阿しゅく如来はあまりよく知られていない地味な存在といってよいでしょう。
しかし、瞋恚を鎮め悟りを求める不動心を持つとされるこの仏さまの精神こそ、特に現代人に求められる心ではないでしょうか。
仏教では、人間の諸悪・苦しみの根源は貪・瞋・痴にあるとし、これらを三毒と言います。
煩悩を毒に例え、三毒こそ煩悩の最たるものとされています。
貪は、貪欲のことであり、むさぼり求める心のことです。
瞋は、瞋恚(しんい・しんに)は「いかり」「にくしみ」の心のことです。
痴は、愚痴ともいい、真理や真実に対する無知の心、「おろかさ」をいいます。
人間の不幸のほとんどはこの三毒に冒されることから始まると言ってよいでしょう。
その一つである瞋恚(怒り)こそ最も心のコントロールが必要なのです。
怒りは、他人の心だけでなく自分自身の心までもダメにしてしまうのです。
あの一言で友人関係がおかしくなったとか、あの一言がいまだに心の棘となっているとか、過去に負った心の傷がいまだ癒されていない想いは誰にでもあるものです。
一瞬の怒りが人生を狂わせてしまった事例はいくらでもあります。
一生取り返しのつかない事件を起こした人が一様に言うことは「あの瞬間に戻れるのなら戻りたいと、どれほど思ったことか」という後悔の言葉です。
時間は絶対に戻りません。それっきりです。
いくら後悔しても後の祭りです。
それもまさに「一期一会」なのです。
人生腹の立つことは日常茶飯事です。
それだけに怒りの心を如何に抑えるかが如何に大事であるか肝に銘ずべきです。
では、腹が立ったらどうしたらよいでしょうか。
いろいろ〝民間療法〝はあると思いますが、何よりも仏さまに頼ることでしょう。
今回の阿閦如来さまを心に念じ、「オン アキシュビア ウン」と真言を唱えるのです。
たちどころに怒りの心は鎮まってくるはずです。
もちろん仏さまであれば他のどの仏さまでもかまいません。
心から気持ちを込めて真言をお唱えするのです。
真言でなくても、「南無地蔵菩薩」でも、「南無阿弥陀仏」でも、「南無釈迦牟尼仏」でも、「南無観世音菩薩」でもかまいません。
まずは一度試してみてください。絶対に効果がありますから。
さて、七月の「法話」で観音さまのお話をしました。
そのなかで、拙僧が一目惚れをした滴水観世音菩薩が近日中に当山にやってくるという話をしましたが、過日遂にご到着されました。
拙僧これまで多くの観音石像をみてきましたが、その観音さまは、お顔立ちから容姿まで最高だと思います。
なんと瞳があり、拝顔すると視線が合うんです。
自分を見つめてくれているようで癒されます。
是非一度お参りください。
合掌