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法話

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法話--令和2年8月--

太平洋戦争の真実 その5 ―マッカーサーの告白 ―

8月はお盆です。
お墓参りをし、ご先祖様をお迎えし供養し報恩感謝の気持ちを新たにする、まさに国民的宗教行事とも言えるのがお盆です。
ふるさとに向かう車でどこも高速道路は渋滞になり、その状況を伝えるニュースが風物詩になっています。

そんな例年とはまったく違ってしまったのが今年のお盆です。
施餓鬼会法要は縮小となり、法事も中止や延期が多くなりました。
特に異例だったのが棚経の中止です。
昔から続けてきただけに淋しくもあり残念でもありました。

僧侶にとって棚経は特にきつい「修行」です。
それが無くなったことで今年のお盆はかなり楽なものになりました。
特に今年は猛暑が厳しく、棚経で回っていたらバテタか熱中症になっていたかもしれません。
そう考えるとラッキーだったのかもしれません。

来年のお盆はどうなるのでしょう。
コロナのことを考えると予測がつきませんが、コロナに拘わらず棚経のあり方もそろそろ見直す時が来たのかもしれません。
個人的には希望制にするなどして縮小の方向にしたいと考えています。

さて、8月と言えば6日の広島、9日の長崎の原爆や15日の終戦記念日です。
戦後75年目を迎え戦争に対する国民の意識は風化を辿る一方です。
一方ネットの情報から先の大戦に対する様々な真相を窺い知ることができます。

75年もの間内戦も戦争もない日本は平和国家の模範として世界から注目され尊敬を受けていますが、今や日本人にとって平和は当たり前になっているのも事実です。
しかし、世界には194もの国がありますが、その中で現在戦争をしている国が24もあり、内戦状態にある国は21もあるそうです。

昔、故原田祖岳老師が「いつになっても人類から戦争は絶対に無くならない」と言われたことに今更ながら納得させられます。
拙僧も若い頃は、人類は叡知を活かし失敗を学習しながら紛争や戦争は世界から減っていくだろうと思っていましたが、それは実に甘い幻想でした。

「歴史に学ぶ」どころか、悪い「歴史は繰り返えす」ことに歯止めがかかりません。
戦争も内戦も減らないし、殺人も犯罪も自殺も減りません。
人の心は進化するどころかむしろ退化しているようにさえ思えます。

確かに人もいろいろ、心もいろいろ、善人から悪人までさまざまです。
しかし、国家や社会の安寧と平和のすべてはその国の良識に委ねられています。
日本がこれからも平和国家であるためには、正しい「歴史に学ぶ」必要があります。

もちろんユーチューブの情報はまさに玉石混交です。ウソも一杯あります。
しかし、中には学校やマスコミも教えてくれない真実も多くあります。
特に最近見直されようとしているのが戦後の日本人が持ち続けてきた「日本の侵略戦争」という認識からのトラウマです。

終戦記念日に因み、あの太平洋戦争の真実の一端を伺い知るものとして「マッカーサーの告白」なるものを見付けましたので紹介したいと思います。

日本への謝罪(ダグラス・マッカーサーの告白)
2013年8月19日 1:07公開
東京裁判から3年後、GHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサーは、米国上院軍事合同委員会の公聴会で「真実の証言」をしていた。
しかし、日本のマスコミで報道されることなく、教科書に記載されることもなかった。
これが我が国のマスコミで報じられ、教科書に掲載されて広く国民の知るところとなっていれば、現在蔓延る自虐史観から脱し、まっとうな独立国となっていただろうに…

「日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。
日本はなにも悪くありません。自衛戦争をしたのです。
イギリスのチャーチルに頼まれて、ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。

アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメにイジメぬきました。
そして最後通牒としてハルノートを突きつけました。
中国大陸から出ていけだの、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったというのでしょう。

当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。
白人は良くて、日本人は許さなかったのです。
ハルノートのことは私もアメリカの国民も知りませんでした。あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。

戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。
我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画をたてました。
アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法は、その国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。
戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。

まず、日本の指導者は間違った軍国主義をとってアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました。
日本がアジアを白人の植民地から解放したという本当の理由を隠すため「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を使わせました。

東京裁判はお芝居だったのです。
アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。
公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などを要職にばら撒きました。
その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。
ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった。戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。

これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。
私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカなのです。

戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。
最後に私が生きていたときの証言を記して、謝罪の言葉としたいと思います。

『私は日本を誤解していました。
日本の戦争目的は侵略でなく自衛のためだったのです。
太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国によって強大させたことでした。
東京裁判は誤りだったのです。

日本は八千万人近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。

歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ。
つまり、労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。

彼らは工場を建設し、労働力を有していました。
しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることが出来ませんでした。
日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。
綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。
その全てがアジアの海域に存在したのです。

もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうこと彼らは恐れたのです。
従って、日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。』」

1951年(昭和26年)5月3日
アメリカ上院軍事合同委員会の公聴会にて

合掌


追伸
ハルノートとは、日本が戦争回避のために行っていた日米交渉の途中で突然、米国務長官コーデル・ハルから突き付けられた文書のことで、ハルの「覚書」という意味です。

「ハルノートはアメリカ当局の予想によれば、交渉が決裂して戦争になるとして万事を準備したのち、日本側の受諾せざることを予期したものであって、日本に全面降伏か戦争かを選択せしめんとしたものである。 日本に対する経済封鎖とともに、あれは完全なる戦線布告である」(東郷外相)

曹洞宗正木山西光寺