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法話

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法話--平成25年5月--

四諦--苦諦その3 老苦その2 天寿への道理--

「不老長寿」・・・それはまさに人類永遠の願いといえるでしょう。
実は、仏教こそ不老長寿の教えなのです。
それは、人生順風満帆にいけば長寿につながるからです。
言うまでもなく、仏教は人生を順風満帆に送るための教えなのですから。

仏教に限らず全ての宗教の目指すところは同じかも知れません。
家内安全も交通安全も、商売繁盛や心願成就も、病気平癒や健康増進などもみな行き着くところは「不老長寿」といえるのです。

目出たいことを「寿」といいますが、「寿」は、「命長し」という意味です。
それは、世の中で一番目出度いことは「長生きすること」だということです。
すなわち長寿こそ人生最高の幸せなのです。

確かに、いつまでも若く、元気で人生を楽しみたいという欲望は人として当然のことです。
できるだけ楽しく長く生きて、そして寿命が尽きてパッと死ぬこと。
これこそ万人の願うところかもしれません。

寿命が尽きることを天寿全うと言います。
その天寿を全うするには人生に立ちはだかる七難八苦に打ち勝たねばなりません。
心身にまつわるあらゆる厄難を排除し幸福になる教えが仏教です。
ですから、仏教の目指すところは、「天寿全う」なのです。

折角の掛け替えのない人生です。
仏教の御利益に与りなんとか天寿を全うしたいものです。
ただし、タダではその御利益に与れません。
タダとは何の努力も精進もしないということです。
どんな御利益もそれ相当の精進あっての果報なのですから。

その精進とは、天地宇宙の道理にかなった生き方をすることです。
人間も宇宙の一部である以上、その道理の下に生かされているのであり、その道理に則った生き方こそ万難を排し、長寿に繋がっているのです。
是非その道理を学び、心身ともに健康で幸福な人生を全うしようではありませんか。

さて、その道理を学ぶには、宗教の二面性を理解しなければなりません。
宗教には非合理的道理と合理的道理の二面があるからです。
「鰯の頭も信心から」の理論が非合理的道理です。
十円や百円のお賽銭で受験合格を願ったり、お札やご祈祷で商売繁盛を願ったりするのは明らかに非合理的道理です。

又、お経の解釈に意訳と理訳があるように、文意そのままを信じることが非合理的解釈であり、文意に隠された真意を理解することが合理的解釈です。
例えば、観音経や、阿弥陀経のように観音さまや阿弥陀さまに只おすがりすれば救われるとするのが非合理的道理です。
他方、経文の意訳の裏にある真意を理解し自ら悟ることで救われるとするのが合理的道理です。

非合理的道理だけのものは単なる迷信です。
特に仏教にはこの非合理性と合理性が相まっているのです。
また、他力本願の教えを非合理的道理と捉え、自力本願の方を合理的道理と捉えることもできます。

更にいえば、前回"講釈"した「不老」の意味についていえば、文字通り「肉体的に不老」と解釈するのは非合理的道理です。
実際生き物が老化しない筈はないのですから。
それに対して「不老」の意味を「仏性」と捉えるのが合理的道理です。

どういうことかと言えば、人の本質は仏性であり、それは永遠の存在であるから「死」とは捉えません。
そこをすなわち「不老」と言っているのです。
拙僧的持論で言えば、すなわち「超科学」なのです。

仏教は、その超科学の合理的道理から人の生き方を説いた教えです。
ですから、ほんとうの不老長寿という御利益は仏教の合理的道理に生きた人に与えられるものです。

さて、実際問題、天寿こそ最高の幸せだとして、われわれ人間は一体どのくらいの寿命を持っているのでしょうか。
それを探るためには、人間という己自身の実態を知る必要があります。
まず人体の神秘からみてみましょう。

人間の体は50兆個の細胞でできているといわれます。
細胞の大きさは10ミクロンです。
人体のどの器官をとってみても、それは共通です。
心臓の細胞も皮膚の細胞も、大きさはすべて同じ、10ミクロンなのです。
10ミクロンは1㎜の100分の1です。

その10ミクロンの細胞が50兆集まってできたもの、それが人間の体です。
人間だけではありません。
ネズミも猫も犬も象も、同じように10ミクロンの細胞で作られています。
象は大きいから細胞も大きいということはなく、すべての動物の細胞の大きさは10ミクロンです。

すべての動物の体が、人間と同じ細胞でできているのです。
その形はどの動物も同じで、違うのは中に入っている遺伝子情報だけなのです。
それもその筈です。
すべての生物の祖先は、皆同じなのですから。

すべての生物の祖先は海で生まれ、魚類から枝分かれして、両生類、は虫類、鳥類、そしてほ乳類へと分化してきたのです。
進化の過程で遺伝子が少しずつ書き換えられ、あるものは陸に上がり、あるものは羽根を得て鳥になったのです。

結果として地球上には様々な種類の生物がいるわけですが、その体を構成している細胞は同じです。
地球上の生物はすべて共通の材質を持っているというわけです。

どんな動物も、始まりは1個の受精卵です。
なぜ生き物によって成体の大きさが違うかというと、細胞の数が違うからです。
なぜ数が違うかというと、細胞分裂の回数が違うからです。

その動物によって分裂の回数が決められているから、象は象の大きさになり、ネズミはネズミの大きさになるのです。

初め1個の受精卵が倍々に細胞分裂を繰り返すと、10回で1024個、20回で約100万個、30回で10億個、40回で1兆個になります。
1辺の長さが10ミクロンの細胞は立方体ですから、体積は3乗になります。

1個の大きさが10ミクロン、つまり0,01㎜の細胞が10回分裂したら、その1辺の長さは10倍の0,1㎜になります。
100万個で1㎜、10億個で1㎝になります。

10億個となった細胞の大きさは、すなわち1㎤、水なら1㏄です。
1㏄の水の重さは1gですから、1㎤の細胞の重さも1gに相当します。

10億個の細胞の重さが1gなら、1兆個の細胞の重さは1㎏になりますね。
中肉中背の人の体重は50キロですから、50キロの人間は50兆個の細胞でできているということになります。(南雲吉則先生の著書を参考にさせていただきました)

人間の体は、人類悠久の遺伝子情報を今に伝えています。
そのDNAの設計図に従って一個の受精卵が50兆個まで分裂し、頭の先から足の先まで、五臓六腑の五体を見事に形成するという事実を考えてみてください。

人は奇跡を感じてこそ感謝の念が持てます。
それは、あり得ないこと、「有り難い」ことが起こったからです。
人間に生まれたということは、まさに奇跡であり有難いことではありませんか。

いくら前世からの宿善の因縁とはいえ、人間に生まれてきた事実を奇跡と受けとめれば、自分の人生こそ実に掛け替えのない尊いものだと思えるのです。
そして感謝の気持ちがもてるのです。
感謝なくして人生に幸福はありません。

合掌

曹洞宗正木山西光寺