仏教とは一言で言えば、「智慧と慈悲」の教えです。
拙僧が口癖にしております「人がしあわせになるための教え、社会が平和になるための教えである」という、まさに「至福の寄辺」と言えるものです。
その意味からも仏教はまさしく人類の至宝と言っても過言ではありません。
お釈迦さま入滅後、その教えを後世に伝えることこそ至上命題となりました。
十大弟子を中心に多くの弟子が集まり、教え賜った「法」を整理検証され膨大な経典ができ上がりました。
爾来現在まで2500年に亘ってその法灯は人類に光明を放されているのです。
今回よりその嗣法に携われた釈迦十大弟子についてご紹介しましょう。
第一回目は阿難尊者(アーナンダ)、テーマは「悪魔」です。
阿難尊者は、お釈迦さまの実のいとこで、侍者(おそばつき)として25年もの間ひたすら随従された方で十大弟子の一人に数えられます。
弟子1250人の中で常にお釈迦さまの説法を間近で聴聞され、よく質問され、その記憶力が抜群だったことから「多聞第一」と称されました。
お釈迦さま滅後に第一結集という教典編纂のための会議が開催されることになりましたが、阿難はまだ悟りが開けておらず、出席資格である阿羅漢(修行を修了した者)ではありませんでした。
しかし会議には記憶力のずば抜けた多聞第一と言われる阿難の出席は是が非でも欠かせません。
ついに彼は頑張って阿羅漢の悟りを開き、会議の場では説法回想を担当されて余人の及ばない貢献をされたのです。
教典の多くの冒頭は「如是我聞」とか「我聞如是」から始まっていますが、この「我」とは阿難のことだと伝えられています。
阿難はお釈迦さまの従兄弟であるといいました。
お釈迦さまが成道(おさとり)された日の未明に叔父である斛飯に第二子が誕生されたのです。
お釈迦さまの父君の浄飯王は「めでたい」という意味の「アーナンダ」(阿難)という名を付けさせたのです。
「名は体を表す」とはよく言いますが、彼は生まれつき美男子であり、誰からも「愛でられる」存在でした。
特に女性の心を虜にさせるほどでした。
お釈迦さまをして阿難に限って肌の露出を少なくするように指導されたとか。
彼はまたイケメン色男であるばかりではなく情にも厚かったのです。
お釈迦さまの養母の願いを聴き入れて、お釈迦さまに懇願して当時まだ許されていなかった女性の出家(比丘尼)の道を開いた功労者とも伝えられています。
教団の中でも阿難に対しての信奉はかなりのものでした。
後々の仏教教団は、阿難を師と仰ぐ人達によって大きく発展したといわれています。
お釈迦さまが80歳の夏安居(げあんご)のとき、諸国を飢饉が襲いました。
このような時に教団が一箇所に固まっていたのでは共倒れになってしまうということで、お釈迦さまは一時的に解散命令を出し、ご自身は阿難と二人で過ごすことになりました。
そんなときの会話の一つをご紹介します。テーマは「悪魔」です。
阿難
「世尊よ、悪魔とはいったいどのようなものでしょうか。」
世尊
「確かにこの世の中には恐ろしい姿をして襲ってくるものがいる。
しかし、怪獣だとか妖怪だとか、さらには鬼や幽霊などといったものなどほんとうにはこの世に存在しないのだよ。」
阿難
「世尊よ、それでも人は悪魔の存在を信じ怖がっているように思えるのですが、それはどういう訳でしょうか。」
世尊
「人間にとって恐ろしいものといえば、地震・雷・嵐・洪水・干ばつ・火事といたものがあるが、こういった天災は人間の生命を奪うことはできても人間の心を奪うことはできないのだよ。
人間にとって何よりも恐ろしいことは心を失うことなのだ。
例えば戦争・内乱・紛争などからとても多くの人間の生命が犠牲になってきたのだが、それらはみんな心を失った人間自身によって引き起こされた結果なのだよ。
殺人や暴力などもしかり、人としての心を奪ってしまうものこそ悪魔なのだ。」
阿難
「世尊よ、ますますわからなくなってきました。人間の心を奪ってしまう悪魔とは一体どういうものなのですか。どんな姿をしているものなのですか。」
世尊
「阿難よ、悪魔はお前の中にも住んでいるし、かつてわたしの中にも住んでいたのだ。
この世の真理を悟ろうと修行をして、あの菩提樹の下で静かに坐禅をしていた時、わたしの中にいた悪魔がひそかにわたしにささやいた。『なんのためにそんな苦労をするのかね。さっさと城に戻るがよい。美しい妻や可愛い一人息子が待っているよ』と。
このように悪魔というのは、一人一人の心の中に住んでいるのだよ。
誰も心の中に善と悪との両面を持っているが、善をしようと努力する人間を妨げている心の悪の面を悪魔と呼んでいるだけなのだ。」
阿難
「世尊よ、それでは、妻子を捨て、出家することが善で、在家のままでいるのは、悪魔に負けたことになってしまうのですか。」
世尊
「よく訊いてくれた阿難よ。
実はそのことでどんなに苦しんだことか。
わたしが出家したことで、祖国カピラヴアスツは後継者を失い、父も妻も子も嘆き悲しんだのは事実だ。
だからこそ私の心が、城に戻れ、と叫んでいたのだろう。
しかしながら、あのとき城に戻ってしまっていたとしたならば、今こうして多くの人々にほんとうの幸せを与えることはできなかったであろう。
菩提樹の下に坐り続けているときに、もし私が悪魔のささやきに負けていたとしたらわたしは悟りをひらき『仏』になれなかったであろう。
しかし、平凡な人間にとって、家庭を持って生活し続けることこそ大事であり、出家しないことが必ずしも悪魔に負けることにはならないのだ。
一人一人の心の中にある二つの面の、どちらが善でどちらが悪であるかをよく判断することである。
ある人にとっては善であることが、ある人にとっては必ずしも善ではないことだってあるのだ。
そういったことがわかるためには、わたしが説いた教えをじっくり味わうことが大事なのだ。」
阿難
「世尊よ。だんだんわかってきました。
人それぞれに歩く道があるということですね。一人でも多くの人々の幸福のためになることをするのが善で、その反対になるようなことをするのが悪だということになるのですね。」
世尊
「悪い行為をする心こそ悪魔だということだ。
だからだれの心の中にも悪魔は宿っているといえるのだよ。
残念ながら、そのような悪魔を追い払うことは、まことに難しいことなのだ。
しかし、大切なことは、『自分の心の中に悪魔が住みついている』ことがわかる人とわからない人とでは毎日の生き方がまったくちがってくることを知るべきなのだ。
その自覚がない人は知らず知らずのうちに悪魔にむしばまれて、やがて身も心も滅ぼされてしまうだろう。」
阿難
「わかりました。その正体こそ『欲望』なのですね。」
お釈迦さまの弟子としても阿難尊者は最高の生き証人だったと言えるでしょう。
そんな彼も最期は教化の情熱を失い、悲しいかなガンジス河の真ん中で自ら神通力で起こした炎に身を投じてしまったのです。
実に波乱万丈の人でしたが、多分これからも人間ドラマの主役として永遠に生き続ける人でもあるでしょう。
合掌