今回は十三仏の六七忌の導師、弥勒菩薩のお話です。
五仏の付いている冠をかぶり、手に宝剣を持っている姿が一般的です。
像としては京都広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏思惟像は世界的に有名で、右手の薬指を頬にあてて物思いにふける表情からは抒情的、神秘的な感動を受けます。
サンスクリット語でマイトレーヤと言い、「慈氏」を表し、菩薩でありながら未来に必ず成仏することから「未来仏」とも言われ、弥勒如来とか弥勒仏とか呼ばれることもあります。
菩薩や如来の殆どが過去仏であるのに対して、未來に出現するのは弥勒菩薩だけです。その点から格別の仏といってよいでしょう。
真言は、「オン マイタレイヤ ソワカ」です。
現在兜卒天で修行中であり、釈尊入滅から56億7千万年後に釈尊の後継者として出世され衆生済度されるといわれます。
兜卒天とは釈尊がこの世に生まれる前にいたとされる世界です。
それにしても56億7千万年後とは途方もない遠い未来ですが、これは太陽系の余命とほぼ同じだそうです。
地球が生まれて46億年ですが、地球の寿命はあと約10億年だそうですから、合わせると56億年となります。
ちょうど地球と太陽系の寿命が尽きたころに弥勒菩薩が出世する計算になりますが、その時まで人類は存在可能なのでしょうか。
そしてその場所は一体何処になるのでしょうか。
それとも新たなヒト属が出現することになるのでしょうか。
残念ながら現在の人類の拙い叡智ではとても推し量れません。
ただそんな遠い未來に弥勒仏が出世するということは、そこに人類が存在するという大前提があってのことです。
われわれはその予言を信じるとしたら、未来や来世に向かってどのようにモティベーションをあげていったらよいのでしょうか。
仏性は永遠ですから、輪廻転生が尽きることはありません。
宇宙が続く限りあなたの命も続くということです。
途方もない遙か未来の弥勒仏の世界に再び人としての命を戴くためにはそれ相応の宿業を積み重ねなければなりません。
そこで今回は、われわれ人類が未来に向かって少しでも長く生き続け、弥勒仏の世界に再生できる為には一体何をどうすべきかを考えてみました。
しかし、今の人類の生き方を考えたとき、弥勒仏の世界に往生できる人間が果たしているのでしょうか。
人類は600万年~700万年前にチンパンジーの祖先から別れヒトへと進化し今日に至ったと言われます。
生物のほとんどは環境に応じて進化すると言われていますが、どんな生物にも種としての寿命があるとも言われます。
その理論からすると人類も例外ではなく進化と同時に寿命があるのです。
例えばヒト属のネアンデルタール人はおよそ3万年前に絶滅しました。
その後現われたのが我々現生ホモサピエンスです。
その我々人類もすでに15~20万年経っているとのことですが、人類はこれから先どのくらい存続できるのか、それともすでに寿命が来ていて、いつでも滅亡を迎えてもよい状態にあるのか、果たしてそのどちらなのか、「進化」と「環境」をテーマに考えてみましょう。
まずヒトの「進化」について考えてみましょう。
ヒトはこれからも進化し、眼も鼻も口も耳も鋭敏になり、足は速く、やがて空を飛べるようになるのでしょうか。
脳は発達し、精神力や感情がもっと豊になるのでしょうか。
否、まちがいなくヒトの身体も心も退化していくと言わざるを得ません。
例えば、ヒトは毛皮や衣服を身につけたことで体毛が無くなりました。
これは暗闇の洞窟に住み着いている魚の眼が退化して無くなってしまったのと同じ"進化"による"退化"なのです。
つまり進化も退化も同事なのです。
すべての生物は環境により刻々と"進化"しています。ヒトも例外ではありません。
乗り物に頼り歩かなくなれば足は退化します。
会話をメールで済ませていれば声帯は退化します。
騒音の中にいれば難聴になり聴力は退化します。
パソコン仕事に詰めれば近視になり眼は退化します。
夜昼の区別のつかない生活をしていれば体内時計が狂い、快適な冷暖房の中にいれば寒暖に対する対応力が不調になり、自律神経が退化します。
電子機器に囲まれ電磁波を浴び続け、多くの環境ホルモンにさらされて遺伝子は損傷します。
特に現代社会はストレスに溢れています。ストレスほど厄介なものはありません。
五感の機能を弱め、食欲、性欲を減退させます。当然生殖遺伝子は弱まります。
実際現代人の男性の精子の数はかなり減少しているそうです。
男性のY染色体遺伝子が減少していて、将来は女性だけになってしまうなどという説もあります。
ストレスに対する防御反応で心は鈍感になり、心の機能はどんどん退化し、やがて感情も人格も無い生物に"進化"してしまうでしょう。
心のない本能のまま生きるだけの"進化"の行く先は、喰口と排泄口だけをもったミミズのような生物です。
ヒトからミミズへと進化するシミュレーションもあるのです。
事ほど左様に、人類の進化における未来は暗雲立ちこめた極めて暗い状態にあると言わざるを得ません。
このまま行けば人類は明らかに滅亡への一途をたどるだけです。
あとどの位もつのかわかりませんが、56億7千万後の弥勒仏の世界なんてとんでもない絵空事に過ぎないということになるのでしょうか。
次に「環境」について考えてみましょう。
ヒトが生きられる環境がダメになれば人類はそこで滅亡となります。
人類はこれまでもっぱら科学文明の発展を最優先にして幸福を追求してきました。
その結果が環境破壊でした。わずかこの百年で地球環境は瀕死の状態です。
しかも改善の見込みはまたくありません。
これから先、最も懸念されるのが原発です。
福島の原発事故で未曾有の環境破壊が起こりました。
放射能は永久的に消えることがない物質なのです。
線量計が下がったと言っても単に拡散されたに過ぎないのです。
さらに、今一番心配されているのが4号機だと言われています。
米国の原子力技術の権威者アーニー・ガンダーセン博士によりますと、こんど大きな地震か何かで使用済核燃料のプールが壊れ水が無くなれば、そこから発する放射能は使用前の10億倍になるとか。
そうなると更に4千万人の避難が必要になるという、まさに史上最悪のシナリオが懸念されているのです。
そんな心配もよそに今大飯原発が再稼働されようとしています。
そうなればその他の原発の追随は必至でしょう。
核技術は人類にとってまだまだ未完成の技術なのです。
プルサーマル(もんじゅ)なんて夢のまた夢の技術なのです。
それを認めないバカ知恵の科学者と我利我利亡者の政治家によって更に環境が破壊されようとしています。
天然資源を使い放題使い、汚染を垂れ流し続けてきた人類、その結果が温暖化です。
世界の人口も今や70億にも達し、自然環境は更に悪化の一途を辿っています。
地球の環境はまさに汚染スパイラルに陥っているのです。
地上のみならず今や宇宙までもが"ゴミの山"とか。
大きさが10センチ以上のものが2万2千個も漂っていて、今も増え続け衛星の居場所がなくなる恐れがあるとか。
ゴミと衛星の衝突が破壊の連鎖となり、宇宙が使えなくなる「ケスラー・シンドロウム」現象が現実味を帯びてきているとか。
このさき人類は、「進化」にも「環境」にもまったく自信が持てない状態です。
このまま行ったら人類に未来がないことは火を見るよりも明らかです。
さあ、一体どうしたらよいのでしょうか。
しかしです。考えてみてください。
70億人のすべての人間が同じように生きているわけではありません。
なかには、清廉を旨として心穏やかに慎ましく環境に優しい生活をしている人も多くいるはずです。
確かに地球上多くの生物がこれまで栄えては絶滅してきました。
しかし、愚かな人類ですが知恵はあります。
バカ知恵ですがそれを悟りの智慧に変え、人間本来の誇りを取り戻せばまだまだサバイバルできるかも知れません。
ただし弥勒仏の世界は異次元の世界です。
おそらくは2500年も昔、釈尊は末法の世に備え弥勒菩薩を据えられたのではないでしょうか。
その教えは、「ヒトとよ、早く正気に戻れ」ということです。
これを結論としましょうか。
さて、さいごに一冊の絵本をご紹介しましょう。
「サルと人と森」という絵本です。
今から102年も前に石川啄木によって書かれた原書「林中の譚」によるものです。
便利さと豊かさだけが幸福だと思いこんで何の反省もないエゴに満ちた人類は退化と自滅への一途を突き進んでいるという、人の真の幸せとは何かを示唆した実に含蓄のある一冊です。
ある日森に入った一人のヒトとサルとの間で交わされるやりとりから人間の愚かさを風刺した寓話です。そのサルからヒトへの苦言の一部をご紹介しましょう。
「人間はなんてかわいそうな生き物なんだろう。
人間はすでに過去を忘れてしまったのだな。
今ここにこうして生きているのは、おれたちと同じ祖先がいたからではないか。
過去を忘れた者には未来はないだろう。
今がいちばん素晴らしく、人間がいちばん賢いと思い上がっていると、これからの人間には進歩も、幸せもないだろう。
かわいそうな人間たちだ。人間滅亡のときが近いうちにやってくるだろう。」
「人間の手足も、その身体つきを見ると、昔はおれたちと同じ働きをしていたに違いない。だけど、今はその働きができないではないか。
人間の手足の歴史は退歩の歴史なのだ。
いつの日か、何の役にも立たない時代が来るだろう。これはつまり人間たちが怠けていた結果ではないか。」
「人間にとって怠慢の歴史だけが日々に進歩している。
ほら、人間が自慢する文明の機械というものは、結局、人間をますます怠け者にする悪魔の手ではないか。」
「この世界で人間ほど退歩した者はないだろう。
人間の祖先であるおれたちを見ろ、おれたちは地面の上を自由に動くことができると同時に、上にも下にも自由に動くことができる。 だが人間は地面の上しか動くことができない。
人間もずっと昔は木の上に住んでいたのに―しかし人間はヘビやカエルの仲間になり、地上に降りていった。
これを堕落と言わずに何と言うのだろう。
深く考えてみてくれ、人間が立っている地平線と、おれたちがいる木の上と、どちらが天国に近く、どちらが地獄に近いか―」
「人間はいつの時代も木を倒し、山を削り、川を埋めて、平らな道路を作って来た。
だが、その道は天国に通ずる道ではなくて、地獄の門に行く道なのだ。
人間はすでに祖先を忘れ、自然にそむいている。ああ、人間ほどこの世にのろわれるものはないだろう。」
歌人として有名な石川啄木は実は素晴らしい哲学者であり思想家であったのです。
百年昔といえばまだまだ豊かな自然が一杯の時代でした。
そんな時にすでに人類が直面している深刻な問題を提起されていたのですから、まさに天才です。
合掌