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法話

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法話--平成21年1月--

こころ(7)-- 安心本尊--

新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

新年が明けることが何故「おめでたい」のでしょう。
それは新たにもう一年「生かされた」ことに感謝するからです。
「寿」は「命長し」という意味です。
長生きこそが人にとって一番おめでたいことなのです。
今年もその命を大切にしっかり生きて行きましょう。

その命に最も欠かせないものが「安心」です。安心こそ長寿の秘訣なのですから。
そして安心といえば、お正月早々エチオピアで医療支援活動中武装集団に誘拐されていた赤羽桂子さんが108日振りに解放されました。
「安心感でいっぱい」と語っていましたが、ほんとうによかったと思います。
彼女は今心から「安心感」と「しあわせ感」に浸っていることでしょう。

人にとっていつ殺されるか分からないという状況でのストレスは想像を絶するものです。
そんな3ヶ月半にも及ぶ極限状況によく耐えました。
命にとって最大の敵はストレスです。恐らく心身共にボロボロの筈です。
まず心と体をゆっくり休め、それから再出発をしてください。

新年は明けても世界から不安は一向に減りません。
戦争、紛争、テロの拡大、温暖化、環境破壊、経済格差と貧困の拡大等。
世界の飢餓人口はおよそ10億人といわれ、毎日2万5千人の人が飢えで亡くなっていると言われています。

戦争や紛争の多くは一部の人間の貪欲と無責任から生まれるのです。
テロの多くは差別と貧困がもたらすのです。
人間社会に差別や格差がある限り戦争や紛争そしてテロは絶対に無くなりません。
特にテロは非人道的で絶対に許されるべき行為ではありませんが、その根底にある言い知れぬ不条理の想いを推して知るべきです。

アメリカではオバマ新大統領が誕生しました。
アメリカ国民のオバマ新政権に対する期待は凄まじいものがあります。
それは彼が直接"民意"で選ばれた大統領だからでしょう。
それだけに国民が政府に関心と信頼を持つのは当然なことです。

それに比べ今の日本の政治は惨憺たるものです。
"民意"が問われない政府に対する不信不満はピークに達しています。
景気、雇用、福祉、医療、年金等、どれ一つ安心できるものはありません。
今問題の定額給付金など誰がみても行政史上最大の愚策です。
それをぬけぬけと詭弁を弄して懸命に言い繕っている政府与党。末期症状の足掻きにしか見えません。
政治家としての大儀と信念を捨て去った情けない政治家ばかりです。

そんな中、一人敢えて政党の殻を破り信念を貫いたのが渡辺喜美代議士です。
早速四人の仲間で「国民運動体」を組織しました。
「永田町の常識ではなく、国民の常識が通用する国政の実現に向けて・・・」の表明に期待します。

よく人の命は平等だと言われますが現実は決してそうではありません。
お金が無ければ病院には行けません。
それは助かる命であってもお金が無ければ助からないということです。
命もお金次第だというそんな不条理が許されていたら日本国内にも暴動やテロが起きてもおかしくはありません。

我々国民は財産と生命の「安心」は政治に頼らざるを得ません。
その意味からすると、国民にとって政府はまさに「他力本願」なのです。
その"ご本尊さま"が頼りにならなくなったら国民に"御利益"(ごりやく)はありません。
御利益どころか、もたらされるものは不幸ばかりです。

国民にとって必要なものはしっかりした頼れる「安心本尊」としての「政府」です。
それは「他力」の"ご本尊さま"ですが、それを決めるのは国民の「自力」です。
すなわち国民の"民意"です。その威力を発揮するのが選挙です。
選挙を通してしっかりした「安心本尊」を決めるしかないのです。

しかし、それだけに「自力」の質が問われるのが選挙です。
「自力」が"ブレ"ていたんではまたまたおかしなご本尊が出現するだけです。
国民の一人一人が正しい価値観と判断力を身に付けない限り真の御利益のあるご本尊さまは出現されないでしょう。

その正しい価値観と判断力を養うのが「宗教」です。
仏教では特に四諦(したい)八正道(はっしょうどう)の実践を通して真理の智慧を身に付けます。
四諦八正道については後日また勉強したいと思っていますが、それは一言でいえば、貪・瞋・痴という三毒に冒されない正しい強い心のことです。

いくらお金や財産があっても、いくら地位や名誉があっても心が三毒に冒されていたら人は絶対に幸福にはなれません。
逆にどんなに貧しくとも心が正しければその人は豊で幸福なのです。

人の心とは実に弱いものです。
心が"弱い"とは、気が小さいとか、臆病だとか、勇気が無いとかの問題ではありません。
人は誰でも、貪・瞋・痴という三毒に冒され易いことを言うのです。

自分の心は「強い」と思っているのは思い込みです。
あなたも、どんな人も、人である以上程度の差こそあれ必ず貪・瞋・痴という三毒を心の内に秘めているのです。
いつ何時その毒素が暴れ出すか分からないのです。
人である以上これは宿命なのです。

ですから、「弱い心」は護らなければなりません。
そのためにあるのが「宗教」です。この認識が大事です。
この認識があれば誰でも「宗教」の存在とその持つ意味が分かるはずです。
正しい宗教の正しい信仰によって正しい心、つまり「強い心」が養われるのです。
そのためにはまず正しい「本尊」が必要です。

それを「護り本尊」と言います。
その本尊をこころから信仰できたときに、その「本尊」はやがて「安心本尊」になります。
しかし、自分から精進しない限りその「本尊」には巡り遇えません。
それが「信仰」というものです。

まずは自分自身の護り本尊を選ぶのです。
阿弥陀仏や大日如来、釈迦如来や薬師如来、観音菩薩や地蔵菩薩、そのほかさまざまな仏さまがいらっしゃいます。
まさに選り取り見取りです。独断で構いません。
あなたに合った、あなた好みの仏さまを選びます。

「護り本尊」を心から信仰できたときに、それは「安心本尊」となり、やがてしっかりあなたを護ってくださいます。
「安心本尊」を持つ人こそ幸福です。

合掌

曹洞宗正木山西光寺