彼岸とは、文字通り「向こう岸」のことです。
こちらの岸を此岸(しがん)という煩悩や迷いの岸ととらえ、対岸を悟りや涅槃の岸と譬えたものです。
語源は、サンスクリットのパーラミターに由来します。
パーラが「彼岸」、ミターが「到る」で「到彼岸」の意味です。
悟りや涅槃に到るために越えるべき迷いや煩悩を川に譬え(三途の川とは無関係)、その向こう岸に到るというものです。
パーラミターを漢字にしたのがすなわち「波羅蜜多」です。
ちなみに智慧がパーニャで般若となりました。
お彼岸の風習はインドや中国にはない日本独特のものです。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いを馳せたのが彼岸のはじまりだといわれています。
極楽浄土は西方浄土ともいわれ、生を終えた後の極楽浄土を思い描き、浄土に生まれ変われることを願ったのが浄土思想です。
生を終えていった先祖を供養すると同時に自らも極楽往生にあやかろうとして定着したのが「お彼岸」なのです。
いつの時代であれ、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じです。
死後を考えない人はいません。
それは人には心があるからです。
心があるからこそ宗教心がある、心と宗教は同事・・・これは拙僧が予てより言ってきた非常に重要な概念です。
ですから人は自らの信仰によって生へのモティベーションが決まるのです。
これが宗教のもつ意味合いであり、その最大のものが生死観です。
人の幸福観はその生死観に左右されると言っても過言ではありません。
一心にただ阿弥陀仏を念ずれば例え悪人でも極楽浄土へと往生できると説かれたのが浄土思想です。
その思想のなかで守護大名に反抗して勃発したのが一向一揆です。
数十万という本願寺門徒(一向宗)によって加賀の城は陥落し、なんと「一向宗の国」が誕生してしまったとか。
その勢力は織田信長によって滅ぼされるまで、約百年間続きました。
「南無阿弥陀仏」と唱えながら死をも怖れずに攻撃してくる一向宗の軍団は、覇王たる織田の軍勢にとっても恐るべき相手でした。
織田軍は捕らえた門徒は全て惨殺するという苛烈さで、その時期に殺された一向門徒は十万人を越えたといわれています。
それは広島・長崎に落とされた原爆の死者に匹敵するもので、日本史上における最大規模の虐殺であったことは事実です。
浄土思想への信仰力と宗教のもつ脅威が示された事実として考えさせられます。
そんな時代を超えて、今中東に「イスラム国」とやらがイスラム過激組織によって建国されようとしています。
一向一揆の「一向宗国」などとは比較になりませんが、どちらも宗教教団が主導していることを考えると、宗教を理解することが実に大事です。
イスラム教では、死後はアラーによってのみ天国か地獄かが決まります。
アラーのために死ぬことができれば、天国に行くことができるというのがジハード(聖戦)です。
死はアラーのみぞ知るところであり、ジハードで倒れた殉教者は、神の元で恵みを受け永遠の命を送ることができるとされています。
自殺は禁止されていますが、殉教は最高の行いとされています。
ただ、殺人は罪とされているイスラム教において、ジハードにおいての殺人はなぜよいのであろうか。
よくわからない点ですが、理屈では理解できないのが宗教です。
信者にとって、信仰こそすなわち正義なのです。
ですから、妄信の彼らにとって自爆テロも殺人もすべて正義なのです。
そこには躊躇も罪悪感もありません。
あるのは使命感だけです。
かのオウム真理教によるテロも数々の犯罪行為もまさに教祖への帰依の証しこそが「正義」だったのです。
元来純粋だった筈の若者たちが狂信の結果殺人鬼に仕立て上げられてしまったのです。
邪教に正義などある筈がありません。
宗教にはそんな落とし穴があるのです。
心がある以上宗教心があるといいました。
だからこそ邪教の穴に陥らない正義を見極める力が必要なのです。
そのためにあるのが仏教の四諦八正道なのです。
それこそ真理の道理、般若の智慧、すなわち彼岸の教えなのです。
今欧州、特にフランス、イギリスでは「イスラム国」の兵士に加わるためにシリアに向かう若者が増えているとか。
妄信の若者がイスラム国になびいている実態はまさにオウムに酷似しています。
こうした諸国の当局者らは、これら若者たちが本国に戻ってテロ行為を主導しかねないと懸念しています。
そんなイスラム国での虐殺行為の実態がネット上から伺えます。
首を切断された幾つもの遺体、体中串刺しにされた遺体など、あまりにも凄惨で見るに堪えません。
人はこれ程までに残酷になれるものかと、実にショックです。
言うまでもなく戦争は地獄です。
あらゆる残虐行為があたりまえに行われるのです。
人は心を棄てて鬼や悪魔にならなければ耐えられません。
まさに殺人と報復の連鎖による地獄です。
それが今のシリア、イラクの現実なのです。
日本は戦後70年になろうとしていますが、70年間も戦争をしていない国は世界の歴史上ないといわれます。
それは憲法9条があるからです。
テロや紛争、宗教対立が横行し、紛争が絶えない国際社会のなかでまさに世界に誇るべき日本の宝なのです。
日本の国際協力・人道支援NGOの日本国際ボランティアセンターの前代表、熊岡路矢さんは、「日本国憲法の平和主義こそが、世界のどの地でも、私たちの命を大枠で守ってくれたと実感してきました。」と誌上で述べられています。
ここからは、熊岡さんの30年間のNGO活動を通しての率直な思いを抜粋ながら紹介させていただきました。
「どうやってNGOは安全を守るのかとよく聞かれますが、紛争地では武器を持たないことが身を守るカギのひとつなのです。
NGOは名前のとおり非政府組織で、政府や軍隊とは一線を画して人道支援を行います。
現地で、私たちは人道支援活動をしていること、中立・公正・公平を旨として働く組織であることを説明します。
武器を持つ選択はありません。
安全確保でもっとも大切なのは現地住民と深く付き合い、彼らから信頼されることです。
万一、武装勢力に誘拐されるような場合でも、交渉や説得以外の方法はありません。
中立的立場で人道支援活動をしていること、軍隊的なものと無縁であることを主張し、現地の人々にも証言してもらう。それで解放されたケースがあります。
高遠菜穂子さんの場合もそうでした。
もし現地に自衛隊がいて、NGOが「駆けつけ警護」を要請したら、かえって武装組織からの危険が及ぶこと必至です。
私が自衛隊を呼べる、また呼びたいと思った状況は一度もありません。
安倍総理の主張は現場を知らない議論なのです。
中東では日本の評価は欧米と異なり、高かったのです。
日本はこの地域を侵略したことはない。
アメリカに原爆を落とされたが報復せず、戦後は平和憲法の下、平和政策をとってきたというのです。
安倍政権がこのまま集団的自衛権を行使し、「米国と肩を並べて戦う国」への道を進めば、今米英に向けられている憎しみが今度は日本にも向かうでしょう。
今まで想像もしなかったような破壊活動が国内で起こる可能性もあります。
安倍政権は、中国などに「力対力」の対抗を進めているようですが、国際情勢を考えれば軍事力で問題は解決しません。
あの「最強」の米国でさえ、目的を達成できないのですから。一番大切なのが外交力です。
日本は憲法9条をもとに平和主義国家として世界の紛争の調停を行い、外交解決を促進する役割をはたせる国です。
それこそ他国にない強みであり、ほんとうの『積極的平和主義』ではないでしょうか。」
「彼岸に渡る」こととは、本当の智慧を知ることです。
本当の智慧を知らないで本当の正義を知ることはできません。
秘密保護法や集団的自衛権が本当に正義と言えるのでしょうか。
イヤ、それらは断じて間違っていると言えることこそ正義です。
合掌