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法話

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法話--令和3年5月--

太平洋戦争の真実 その12 ―ルーズベルトの陰謀 ―

今回は藤井厳喜氏著書「太平洋戦争の大嘘」の中から、アメリカ第31代大統領ハーバート・フーヴァーについてのお話です。

フーヴァーはフランクリン・ルーズベルトの前の大統領です。
彼の名前があまり知られていないのは、彼がルーズベルト大統領を批判し、太平洋戦争の責任はルーズベルトにあると主張したからです。

フーヴァーは、歴史家としても立派な方で、多くの著作を執筆しています。
そして、最後に大著「フリーダム・ビトレイド」(裏切られた自由)を残しました。
ところが、この本は、なんと50年近くの間出版されませんでした。

その理由は、「本当のこと、知られたらまずいこと」が書いてあったからです。
その「知られたらまずいこと」とは、アメリカ人が一般に信じている第二次世界大戦論、いわゆるルーズベルト史観を真っ向から否定している内容だったのです。

公にすれば、フーヴァーの名前も汚すことになるのではないかと遺族が恐れたのではないかと思われます。
しかし、もう出してもいい時期になったということなのか、平成23年に、彼が残したフーヴァー研究所から出版されました。

アメリカでは今日でも、ルーズベルト神話は根強く残っており、「ルーズベルト史観」としてしぶとく生き続けているのです。
むしろそれが主流であると言っても過言ではないでしょう。

アメリカをはじめとする連合国が、日本の軍国主義、ドイツのナチズム、イタリアのファシズムをやっつけたのは、全く正しい正義の戦いであったのだという歴史観が、今日でもアメリカでは主流を占めているのです。

さらに、第二次大戦後、アメリカは世界の超大国となったため、ルーズベルトは偉大な政治家であったとする評価となりました。
すなわちルーズベルト神話――ルーズベルト史観が現在なおアメリカでは一般的なのです。

ところが、フーヴァー元大統領は、そのルーズベルト史観に真っ向から挑戦状をたたきつけたのです。
彼は、ルーズベルト大統領が犯した3つの大罪を挙げています。

一つ目は、「日米戦争は、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因ではない」ということ。

二つ目は、「41年(昭和16年)の日米交渉では、ルーズベルトは、日本側の妥協を受け入れる意図は初めから全くなかった。彼は日本側の誠実な和平の努力をことごとく潰した」ということ。

そして三つ目に、アメリカが原爆を落としたこと。原爆を投下せずに日本を降伏させることができたというのです。
「原爆投下の罪は、アメリカ人の良心の上に重くのしかかっている」とまでフーヴァーは言っています。

このように、終戦に関しても、原爆についてもフーヴァーは率直に、「原爆を落としたのはトルーマン大統領かもしれないが、その絵を描いたのはルーズベルトだ」と言っています。

ちなみに、昭和19年11月にルーズベルトは脳卒中で死去し、副大統領だったトルーマンが大統領に就き、ルーズベルトの思いを実行したのです。
トルーマンもルーズベルトにまさに狂気の同罪人なのです。

日本は、終戦に向けて繰り返しアメリカに和平を求める意向を示していました。
それにも拘わらず、アメリカが原爆投下に踏み切ったのは、アメリカの歴史においた未曾有の残虐行為でした。

これは「アメリカ人の良心を永遠に責め苛むものである」とフーヴァーははっきり言っています。
原爆を落とす必要などまったくなかったということです。
チャーチルですら、原爆投下によって日本が降伏したという見方は間違っていると言っています。

原爆を投下しなければ、日本は降伏しなかったというのは、まったくの嘘です。
日本は和平の手段を模索して動いていました。
日本は、サイパン島の陥落以降、戦争の帰趨(きすう)は決したとして、戦争終結への動きを模索していたのです。

近衛文麿元首相や岡田啓介らの重臣が和平に向けて動いていたのです。
45年2月には、近衛は昭和天皇に対して「奏文」を奏上しています。
これは「天皇制維持のため、日本の共産化を防ぐため」に早期の停戦を訴えたものでした。

昭和20年5月にはドイツが無条件降伏しました。
連合国にとって最後の敵国となった日本への対応と戦後処理を話し合うために、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の首脳がポツダムに集まって会談を開きました。

そこで発表されたのがポツダム宣言であり、日本に対する無条件降伏を勧告するものです。
無条件降伏は、ルーズベルトの強い個人的な意向だったと言われています。
それは、ドイツに対しても同様でした。

戦争を早い段階でやめることができたのに、無条件降伏という無茶なことを求めたから、戦争による破壊が行きつくところまで行ってしまったのです。
ドイツは、国家、政府がなくなるまで完全に破壊しつくされてしまいました。

5月のドイツ降伏以降、日本は降伏のチャンスをずっと待っていたのであって、そこで撃ち方止めにすればよかったのです。
ところが、ドイツ同様、無条件降伏を突き付けられてしまったために、日本は最後まで戦わざるを得なくなっていったのです。

ですから、無条件降伏の要求さえなければ、原爆投下はもちろん沖縄戦だって避けることはできただろうというのが、フーヴァーの主張です。

1945年(昭和20年)の5月、6月、7月と、日本は白旗を掲げて和平を求めていたが、トルーマンはこれを拒否したのです。
日本との和平は、唯一つの譲歩で達成できたのです。それは天皇の地位の保全でした。

日本の天皇は国家元首であるばかりでなく、国民の精神的権威でもあるのです。
天皇の地位は信仰と伝統に基づくものです。
アメリカ側が、最終的にこの条件を受け入れたのは、原爆投下の後だったのです。

アメリカが天皇の地位を保証さえすれば、日本はすぐにでも降伏して早く戦争を終わらすことが出来たのです。
アメリカは、無条件降伏という無理難題を突き付けることで、少しでも戦争を長引かせたのは、原爆投下のための言訳の繕いだったと言われても仕方ありません。

昭和21年5月4日から6日まで3日間、フーヴァーはマッカーサーと会談しました。
この時、フーヴァーが率直に言いました。日本との戦争のすべては、戦争に入りたいという狂人(マッドマン)の欲望であった、と。

狂人の欲望、つまりルーズベルトは気が狂っていて、本当に戦争をやりたくてしょうがない、そういう意味で狂人だと言っています。
その欲望の結果が、今度の日米戦争になったんだと、私(フーヴァー)が言うと、マッカーサーは同意した、と言うのです。

後の昭和26年5月、アメリカ上院の軍事外交合同委員会でも、マッカーサーは「日本の戦争は自衛戦争であった」ことを証言しています。
昨年8月分法話「マッカーサーの告白」参照)

合掌

曹洞宗正木山西光寺