四諦--苦諦その4 病苦その2 病気にならない生き方その28
前回「You are what you eat」(あなた自身は食べた物で出来ている)という格言を紹介しました。
確かに言われてみれば、人間に限らず全ての生物は食べ物から全ての必要な栄養を摂取して肉体と命を維持していることが改めてわかります。
人の体はおよそ60兆個の細胞からできていて、全ての細胞は絶えず新陳代謝を繰り返しています。
そして一秒間に凡そ50万個の細胞が生まれ変わっているとか。
皮膚の細胞は一週間で、肝臓は6週間、骨格は3ケ月、筋肉は4ケ月で半分が、そして体の中の細胞は凡そ3年間で全てが入れ替わってしまうとか。
ただ脳細胞だけは、生まれ変わることがなく只一方的に死滅していくだけだとか。
人の脳細胞は、約150億個の数があり、毎日11万個の脳細胞が死んでいるとか。
でも人の絶対寿命と言われる128歳生きたとしてもまだ100億個は残るそうです。
しかし、毎日10万個以上の脳細胞が死滅しているとなれば、確かに高齢になればボケや痴呆になるのも仕方ないのかもしれません。
脳に限らず老化とともに体のすべての組織は衰退していくのが生物としての宿命です。
60兆個の細胞から成り立っている人の体は、その60兆個が絶妙に調和しているからこそ健康でいられるのであり、人はまさに奇跡の存在なのです。
その調和が壊れるのが病気であり、その調和の維持が難しくなるのが老化です。
だから老化が進むに従って様々な病気に罹りやすくなるのは自然の成り行きです。
ただ問題は、その進度です。
もちろん先天的なDNAに依るところは大きいのですが、後天的な問題の方がはるかに大きいのです。
その後天的な問題こそ「生活習慣」です。
DNAは生まれ持った「宿命」ですが、生後の健康に大きな影響を与えるのが何よりも「生活習慣」です。
特に偏食、運動不足、喫煙、飲みすぎなどの悪い習慣はすべて自己責任によるからです。
そんな自己責任から起こる病状が、高血圧、脂質異常、糖尿病そして肥満などのいわゆる「死の四重奏」と呼ばれるものです。
あえて厳しく言えばこれらは皆身から出た錆び、まさに因果応報と言うべきものです。
いくら人権は平等だといっても健康と寿命には歴然とした格差があるのが人間界の不条理です。
しかし、その不条理も「自己責任」のなかでいくらでも対抗できるのです。
生活習慣病から距離を置くことができればその分健康寿命は延びます。
どんな素晴らしいDNAに恵まれていても無謀な生活習慣を続けている限り間違いなく病魔の餌食となり寿命は確実に縮まるということになります。
確かに煙草もやらない人が肺ガンになったり、ヘビースモーカーであっても肺ガンにならなかったりするケースなどいくらでもあります。
理不尽と思われるかもしれませんが、ガンになるか否かは結果論であり、大事なことは自己責任においての対応です。
例え肺ガンに罹らなくともタバコの弊害は動脈硬化をはじめ体中のあらゆる組織に損傷を与えます。
まさに「百害あって一利なし」というのが常識です。
生活習慣病の主な原因の中でもタバコはその最たるものだと言われています。
最近肺ガンで亡くなった方がお2人います。タバコが原因でした。
ご本人から病気を打ち明けられた時は返す言葉もありませんでした。
肺ガンに罹ればまず生還は無理です。それだけに闘病生活は実に壮絶なものでした。
そんなリスクを重々承知しながらそれでもタバコを止められない人の気が知れません。
タバコは個人の自由だ、人に迷惑を掛けているわけではない、などと居直る人がいますが、そんな「自由」が認められるなら覚醒剤もアリということになってしまいます。
さすが「覚醒剤」は極論として、タバコは少なからず他人や環境に悪影響を及ぼします。
個人の嗜好の範囲を逸脱していることは間違いありません。
最近拙僧の勧めで病院の禁煙外来に通い始めた方がいます。
35年間のタバコを断つ決心は大変なことですが、必勝を信じています。
タバコは一例ですが、飲酒や偏食、運動不足にしても同様です。
如何に生活習慣に向き合ったかは、因果となって如実に現れます。
「健康意識」と「死の四重奏」はまさに反比例の相関にあります。
その「死の四重奏」といわれる高血圧、脂質異常、糖尿病そして肥満に加え、さらに悪いとされるのがストレスです。
「脳と腸内細菌」の中でも触れましたが、ストレスによって悪玉腸内細菌が増えることで腸内での病原性が高まり一気に「死の四重奏」が進むのです。
ストレスの場合どこまでが自己責任と言えるかわかりませんが、生活環境の中で起こるストレスであればそれを避ける工夫はいくらでもある筈です。
例えば体調がおかしくなるような職場だったら思い切って仕事を変えることです。
ストレスこそ幸福にとっての最大の敵です。
心身共に破壊していきます。
他方幸福にとっての最大の味方は喜びです。
癒しは心身共に健康にしてくれます。
笑いがドーパミンを増やしガンさえも抑制する効果があるというのは今や定説です。
生活習慣と環境をコントロールして如何に楽しく過ごせるかが勝負です。
ところで、気になるデーターがあります。
厚労省の「国民健康、栄養調査」で浮き彫りになったことは、所得の低い人ほど、肥満率、喫煙率が高く、歯の数が少なく運動不足気味だということです。
さらに偏食が多く、栄養バランスが偏っていて、野菜や肉類が少なく、麺類が多いそうです。
麺類は特にインスタントでリーズナブルだからでしょう。
炭水化物や糖質の摂取が多く運動不足となれば当然糖尿病のリスクは上がります。
さらに健康診断の受診率が低いということですから当然有病率は上がります。
経済的負担が理由かもしれませんが、発病してからでは負担はその何倍にもなってしまいます。
ひょっとして自分は未病かもしれないという意識を持つことです。
あと、宝くじの購買率が高いことがあります。
よく夢を買うといいますが、文字通りほぼ100%夢に終わるのが現実です。
一攫千金を夢見る気持ちもわかりますが、拙僧的には金をドブに捨てるようなものだと思っています。
以上から言えることは、貧しい人達ほど生活習慣に問題を抱え健康に対する意識が低く刹那的な日常生活を送っている人が多いということです。
貧富の差が健康にも差を生んでいるということが事実だとしたら理不尽なことです。
しかし、「自己責任論」からすれば健康格差を経済的格差のせいにするのは責任転嫁ではないでしょうか。
問題の本質は本人の甘えと認識不足にあると拙僧は考えます。
例えば、お釈迦さまは2500年も昔、80歳まで生きられました。
あの時代の80歳は現代であれが120歳くらいに相当するかもしれません。
経済的にはお釈迦さまはまさに極貧でした。
特に食生活は100%布施と乞食によるものでしたから栄養学的には問題だらけだった筈です。
にも拘わらずお釈迦や昔の僧侶はみな結構健康で長寿でした。なぜでしょう。
それは、質素清貧の中で信仰に生き心が満たされていたからではないでしょうか。
仏教の目指すところは欲望を捨て不安やストレスから解放され、悟りという「安心」(あんじん)を得ることです。
「安心」こそ人の健康と幸福にとって最も大事なことです。
ほんとうの幸福は経済格差に関係ないことを信仰は教えてくれています。
合掌