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法話--令和元年11月--

太平洋戦争の真実 その2 ―朝鮮統治 その2 ―

日韓関係は過去最悪の状況だといわれています。
特に韓国人の反日感情には凄まじいものを感じます。
韓国からの観光客は65,5%も激減し、日本製品の不買運動もまさに国家行事のように徹底しています。

「加害者と被害者の立場は、千年の歴史が流れても変わらない」と前パク・クネ大統領が述べたように、今の文在寅政権もそれ以上に日本を目の敵にしています。
その怨念の原因のすべては日本の統治時代に起因しているというのです。

ほんとうに日韓併合時代は千年も恨まれるような暗黒の時代だったのでしょうか。
日韓併合時代とは、1910(明治43)年~1945(昭和20)年のおよそ35年間、日本が欧米諸国の支持のもと条約に基づいて大韓帝国を併合した時代を指します。

ネット社会の今、韓国に関する様々な記事を見ることができます。
その中から「真実」を知る手がかりになるような記事をいくつか紹介してみたいと思います。

日韓併合時代に日本が行ったこと

(1)多額の財政投入

日韓併合後、日本は朝鮮半島を「植民地」ではなく、日本国の一部として考えていた。
欧米の「植民地」支配とは異なり、そこに搾取はなかった。

近現代史研究家の水間政憲氏は、こう指摘する。
「日本が朝鮮を搾取していたのか、と言えば、むしろ日本から朝鮮半島に血税が投入されていた。35年間で朝鮮に財政補填がなかったのは、昭和8年のたった一年だけです。

昭和10年代、日本が日支事変以降、経済的に困窮し、耐乏生活に追い込まれていったわけじゃないですか。ところが、驚いたことに、韓国では多数の学校が建設され、5千キロ以上の鉄道もつくられていたんです」

(2)インフラの整備・所得増加政策

日本が朝鮮半島の社会的基盤を整えたのは事実だ。
東亜大学教授・広島大学名誉教授の萑吉城(チェ・キルソン)氏は、「日本は朝鮮に近代的なインフラを整備し、建物等を数多く建築し、所得を上げる政策を実施しました。

稲の品種改良によって寒冷地でも稲作農業ができるようにし、その結果、北部でもおいしい米がたくさんとれるようになったのです」

日本の統治以前の李氏朝鮮において、教育を受けられたのは「両班(やんばん)」といわれる支配階級の子弟のみであり、識字率は20%以下であった。
この点についても、チェ氏は日本統治について肯定的な評価を下している。

「学校教育では日本語で朝鮮語を抹殺したように言われていますが、日本の教育政策で朝鮮半島が近代的な教育システムになってきたことは事実であり、高く評価されてもいいと思います」

さらに、台湾出身で評論家の黄文雄氏は、別の観点から日本の朝鮮統治に高い評価を与えている。
「日本の当時の朝鮮総督府はそれまでの制度を変えて『万民平等』を実現し、近代法に基づく社会を作りました。

李朝時代の階級制度をすべて撤廃したこと、これはたいしたものですね。
リンカーン以上です。リンカーンの奴隷解放以上の仕事をしていますよ」 また、朝鮮の人々の名前を奪った、と批判を受けることもある「創氏改名」については、「もともと奴隷階級には苗字がなかったんです。また女性でも名前もなかった。

名前を奪ったのではなく、むしろ名前を与えたんですね。朝鮮の長い歴史のなかで最大の貢献であると思います」と、この施策にも通説とは異なる肯定的な評価を与えた。

以上見てきたような日本の統治政策は、台湾でも施行されました。
しかし、台湾では韓国のような感情的な反発は見られません。むしろ近代化を推し進めたものとして肯定的に評価されています。その評価はまさに真逆的です。

植民地研究の第一人者、アレン・アイルランド氏は、日本の朝鮮統治を次のように評価しています。
「今日の朝鮮は李王朝時代とは比べ物にならないくらい良く統治されており、また他の多くの独立国と比較してもその統治は優れている。
政府の行政手腕のみならず、民衆の文化的経済的発展においても優れているのである」

日本人の多くは、韓国は隣国として大事な国だから出来たら穏便に仲良くやって行けたらいいと思っている筈です。
そのためには、先ず韓国が正しい歴史認識を持つ必要があるでしょう。反日をやめ「真実」に向き合わない限り信頼関係は築けません。

韓国人の女性で、呉善花(オ・ソンファ)さんという方がいます。
日韓関係についてたくさんの本を書いている方ですが、彼女は小さい頃、親の世代から「日本人はとても親切な人たちだった」と聞かされていました。

ところが、学校に入学すると、先生から、「日本人は韓国人に酷いことをした」と教わって、すさまじいばかりの反日教育を受けたのです。それでいつしか、学校で教えられるままに、「日本人は韓国人にひどいことをした」という認識が、彼女の中で常識となっていました。

彼女はその後日本に渡って、日本で生活するようになりました。すると、かつて親から教えられた「日本人はとても親切な人たちだった」という言葉が、再びよみがえってきたのです。

それで彼女は、日本と韓国の歴史について、もう一度勉強し直しました。
やがて彼女は、韓国で受けた反日教育というものが、非常に偏った、間違いだらけのものであることを知るようになりました。
そして、反日主義から抜け出したのです。

今日、韓国の学校教育では、「日帝は、全国いたるところで韓民族に対する徹底的な弾圧と搾取を行い、支配体制の確立に力を注いだ」「日帝の弾圧に苦しめられたわが韓民族は、光復(戦後の解放)を得るまでの間、植民地政策に対して自主救国運動を展開した」等と教えられています。

このようなことを教えられると、日本人はまるで朝鮮でヤクザのようにふるまい、日本人は朝鮮人を虐待し、両者は至るところで非常に仲が悪かったような感じです。
しかし、実際に朝鮮における日本統治時代を体験した人々に聞くと、まったく違う様子だったのです。

たとえば、生まれも育ちも朝鮮の新義州(今の北朝鮮北部)という林健一さんも、こう語っています。
「日本人による朝鮮人差別ということは、まったくありませんでした。学校で生徒同士は完全に対等で、上級生の朝鮮人が下級生の日本人を呼び寄せて、『お前は服装がなっていない』とか説教することなんかたびたびありましたね。

朝鮮を出て、日本の内地に行きたいとも思いませんでした。朝鮮の人々はよかったですし、私も居心地がよかったですから、骨をどこに埋めるかと聞かれれば、『朝鮮』 と答えたものです」

また、日本統治下のソウルで青春時代を過ごした吉田多江さんは、こう語っています。
「近所の子ども達ともよく遊びました。何の区別もなく付き合っていました。中のよかった思い出がいっぱいで、朝鮮人と日本人の間でいじめたりいじめられたりといったことは、本当に見たことも聞いたこともありませんでした。

朝鮮はとても治安がよくて、日本人を襲う泥棒や強盗の話など聞いたこともありません。創氏改名を強制的にさせたとも言われますが、私のまわりの朝鮮人はみな終戦までずっと朝鮮名のままでした。

戦後の韓国で言われてきた歴史には、あまりにも嘘が多いと思います。私はソウルで生まれ、成年になるまでソウルで生きてきましたが、日本人と韓国人が基本的に仲良く生きてきたことは、双方の民族にとって誇るべきことだと思っています」

このあとも体験談は続きますが、次回に回します。

合掌

曹洞宗正木山西光寺