大震災から一ヶ月が経ちましたが、依然被災された方々の心痛と困窮と不安は計り知れません。
一刻も早く復興に向けての展望が進み、被災された方々の心労が少しでも和らげますことをただただ祈るばかりです。
地震国日本列島にとって地震・津波は逃れることのできない運命なのかもしれません。
先祖伝来の国土を見限ったり出来る筈もなく、只ただその現実を受けとめ一層の備えをしていくしかありません。
掛け替えのない祖国、この「美しい国・日本」を再び築いていきましょう。
それと、まだまだ先の見えない原発の問題が一番の心配事ですが、今責任論や原発賛否論を言い合っている場合ではありません。
勿論政府や東電の責任は重大です。「想定外」が絶対にあってはならないのが原発であるべきだかです。
ただ、原発反対を日頃訴え続けてきたわけでもない人が、今まで原発の電気の恩恵に与ってきておきながら、事ここに至って責任論を最優先にするのはほどほどにすべきでしょう。
これまで電気の恩恵に"湯水の如く"浴してきた国民一人一人にも普遍の責任の一端は有ると思うからです。
停電の不便さを知り、ようやく節電の気運も高まってきたところです。
被災地の不便さを思えばいくらでも節電できる筈です。
被災者の気持ちを共有してこそ「日本は一つ」になれるのです。
「共有の心」が「思い遣りの心」であり「和の心」です。
人類史上希に見るこの大震災をどう乗り切るか世界中が注目しています。
日本は大きな和の国「大和」(やまと)の国です。
「大きな和の心」で必ずや復興・再生します。ガンバレ大和の国・日本!
さて、本題に入りましょう。
仏教の開祖、本家本元のお釈迦さまを知らない人はいない筈ですが、今回は13仏の二番目ということで改めて釈迦牟尼仏をテーマと致しました。
知っているようで知らない面もあるかと思います。
一緒におさらいしてみましょう。
我々は普通に「お釈迦さま」と呼称しますが、「釈迦」は部族名または国名なのです。
そのため「聖者」「修行者」という意味の「牟尼」をつけて「釈迦牟尼仏」と呼称するのです。
それに世尊や如来という称号を加え、釈迦牟尼世尊、釈迦牟尼如来ともいいます。
さらに称号だけを残し、世尊、仏陀、ブッダ、如来とも称します。
いずれにせよ日本では一般的には「お釈迦様」で通じていますからそれはそれで良いかと思います。
誕生
およそ2500年昔、現在のネパール国境付近のカピラバースト国という小さな共和国に生誕されました。
国城主シュッドーダナを父とし、妃マーヤーを母として誕生されゴータマ・シュダールタと名付けられました。
「ゴータマ」は「最上の牛」を意味し、「シュダールタ」は「目的を達した者」という意味だそうです。
ゴータマは母親がお産のために実家に里帰りする途中、ルンビニの花園で休んでいたときに誕生されました。
ゴータマは生まれたとたん、七歩歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話したという、誰でも知っている話です。
また、ゴータマはマーヤ夫人の右脇から生まれたという説もありますが、生まれた直後歩ける人間なんている筈もなく、これらは釈尊を崇める過程でできあがった伝説にすぎないと捉えて結構でしょう。
しかし問題は事実かどうかではなく精神です。
人間ゴータマがお悟りを開らかれ如来となられ一切衆生を済度されたその意味合いがこの言葉に集約されていると考えられるからです。
「全世界で私が一番尊い」というその言葉の意味は誰にでもわかります。
しかしその真意を理解できないととんだ誤解をすることになるのです。
例えば暴走族などが特攻服などに「天上天下唯我独尊」などと刺繍してあるのは単なる「傍若無人」「自己中心」の粋がりの意味にすぎないのは言うまでもありません。
道元禅師が示されています「仏道をならうというは自己をならうなり・・・」の言葉通り、「自己」の答えこそまさに「天上天下唯我独尊」であることを悟るべきなのです。
自己の実体を悟ることで「天上天下唯我独尊」(全世界で私が一番尊い)という極意が会得できるのです。
さて、話を戻しましょう。
ゴータマの生後七日目に母マーヤーは亡くなってしまいます。
その後は母の妹マハープラジャパティーによって育てられたそうです。
当時は姉妹婚の風習があったことから、彼女もシュッドーダナの妃だった可能性もあるようです。
ゴータマは一族の期待を一身に集め、二つの専用宮殿の中で贅沢三昧に育てられ、教養と体力をしっかり身につけた聡明な立派な青年に成長しました。
16歳で母方の従妹のヤショーダラと結婚し、一児をもうけラフーラと名付けました。
出家
よく知られた出家の動機として四門出遊の故事があります。
ある時、ゴータマがカピラバースト城の東門から出た時に老人に会い、南門から出た時に病人に会い、西門を出た時に死者に会い生老病死の無常を感じたという。
そして北門から出た時に一人の出家僧に出会い、世俗から離れた清廉な姿に感銘を受け出家の意志を持つようになったと伝えられています。
29歳になった12月8日夜半、かねてよりの念願であった出家の志を実行します。
バッカバ仙人からアーラーラ・カーラーマ、ウッダカラーマ・ブッダの三人の師を訪ねたのですがすべて真の悟りを得る道ではないことを覚りウルヴェーラの林に入りました。
そこに父シュッドーダナはゴータマの警護も兼ねて五人の沙門(修行僧)を同行させたのです。いわゆる五比丘です。
それから共に6年(7年の説もあり)間の修行と苦行を積み重ねたのですが、心身を極度に消耗するだけで一向に悟りの気配を窺うことはできませんでした。
ゴータマはこのままでは人生の苦悩を根本的に解決することはできないと悟って難行苦行での修行を捨ててしまったのです。
共に修行をしていた五比丘たちはゴータマは苦行に耐えられず修行を放棄したと判断し、ゴータマの元を去りムリガーバ(鹿野苑)へ去ってしまったのです。
成道
それからゴータマは独りネーランジャナー(尼連禅河)で沐浴し、村娘スジャータの施した乳粥を戴き気力体力の回復を図り、ガヤー村の菩提樹の下で49日間の瞑想に入りました。
そしてついに12月8日、暁の明星を見て大悟徹底されたのです。
これを「成道」と言い、爾来ガヤー村は仏陀の悟った場所という意味のブッダガヤと呼ばれるようになったのです。
仏陀(覚者)となられたお釈迦さまは暫しお悟りの喜びに浸っていました。
悟り・・・それは別名「涅槃」と言い、言葉では説明できない素晴らしい世界だったのです。
それだけに「このまま無余涅槃に至ろう」と思われたのです。
つまりこのまま3ヶ月の禅定を続けそのまま死を迎えるということです。
それを知った梵天と帝釈天は驚きます。折角仏陀となられたお釈迦さまがそのまま居なくなったら人類を救う人が居なくなってしまいます。
そこで梵天と帝釈天はその「真理の法」を迷える衆生の為に説くよう勧められたのです。いわゆる「梵天勧請」です。
三度の説得の末にお釈迦さまはついに衆生済度の決心をされたのでした。
そして、まず初めに共に苦行をした元の五人の仲間に自らの正しい悟りを伝えるべく鹿野苑に向かったのです。
はじめ五人の比丘はお釈迦さまに対して、苦行から逃れた人として蔑んでいましたが、説法を聞くうちに心から帰依していったのです。
これを初転法輪(しょてんぼうりん)といいます。
つまり初めての説法をされたのです。
今回はここまでと致します。
合掌