▲上へ戻る

法話

  1. ホーム
  2. 住職ご挨拶

法話--令和元年9月--

台風災害の教訓 ― 温暖化の責任を問う ―

台風15号が甚大な被害をもたらしてからもうすでに3週間が過ぎましたが、日を追うごとに被害の大きさが明らかになってきました。
農産物の被害に限ればあの東日本大震災の被害額を越えたとか。
いまだに瓦礫の後片付けやブルーシート張りに追われている人達がいます。

当山も本堂の瓦が多く吹き飛ばされ堂内はひどい雨漏りに襲われました。
漆喰の壁が崩れ落ちたり、その泥や瓦の跡片付けや掃除に何日も追われました。
これから畳の搬送もしなければならないし、問題は山積です。

屋根の修理は何年も先になるようですから、とりあえずはブルーシートで凌ぐしかありません。しかし頼める人がいないのです。
特に本堂の屋根は高く勾配がきつく素人には無理です。
大工さんも瓦屋さんも手が回らないと断られまさにお手上げ状態です。

何とか自分達でシートは張ったものの所詮素人仕事。
その後雨が降る度に漏水に悩まされています。堂内にシートを敷きバケツを何十箇も並べて対処していますが頼みの綱もなく当面は仕方ありません。

90歳になろうというあるお年寄りが、「この歳まで生きてきて、こんな災害は初めてだ」と言っていましたが、死者10万人以上の犠牲者を出した関東大震災から今年で96年目になりますから、房州にとってはそれ以来の災害かもしれません。

房州は近年大きな災害がなく恵まれた地域だという思いが正直ありました。
人って案外楽観論者なのです。
「そろそろ大地震がくるかもしれない・・・でもまだ大丈夫だろう」とか「今度来る台風も避けるかもしれないし、たいしたことはないだろう」とか、高を括るのが一般人の心情ではないでしょうか。

だから災害はいつでも「想定外」なのです。
ここ房州も「房州に限って」などという神話はありません。
「今のところ」は恵まれていたに過ぎなかったのです。
大自然の営みには贔屓やそんたくなどまったくないのです。
特に災害大国日本である以上常に「想定内」を心掛けるべきです。

よく災害直後は誰でも備えの重要性を感じて防災用具や避難対策に大きな関心を持ちますが、時間が経つにつれて危機意識は薄らいでいくものです。
折角用意された非常用グッズなどもいつの間にか存在感をなくし忘れられていきます。

さて、これまで東日本大震災・大津波、原発事故をはじめ、熊本地震や全国各地には多くの災害が発生し、長期にわたる避難生活を余儀なくされた方々や、復旧が遅れている地区の方々がいまだにいます。

今回のこの地域でも住み続けることができない程の被害を被った人達もいます。
そんな人達と比べるというのもどうかと思いますが、個人的にはこの程度の被害で収まったと考えれば苦労もさほど厭いません。

当山の場合、4日間電気はありませんでしたが、水道とガスは大丈夫だったのでさして食事には困りませんでした。
ただ猛暑のなか冷蔵庫とエアコンのないのには参りました。
それでも車に行けばエアコンもテレビもあるのでその点は幸いでした。

久しぶりに夜はロウソクの下で過ごしました。
昔子供のころは台風がくれば停電はしょっちゅうだったので慣れたものでした。
当時はまだ冷蔵庫も洗濯機も炊飯器も無かったので、停電で困ったのは照明くらいのものでした。(まだ蛍光灯などなく裸電球の時代)

電気製品と言えばラジオくらいのものでした。
エアコンなど当然ありません。
夏はせいぜい扇風機だけでしたが、それでも暑さはなんとか凌げました。
当時熱中症という言葉など聞かれませんでした。

冬は炬燵(こたつ)が暖房の主役でした。石油ストーブが出てきたのはもっと後のことです。
やがて木炭や豆炭の炬燵が「電気炬燵」になり、ご飯釜が「電気釜」に、洗濯桶が「電気洗濯機」に、箒が「電気掃除機」にとみんな“電気仕掛け”に進化したのです。

子どもながら、「電気洗濯機」と聞いたとき、電気がどのようにして洗濯するのか不思議に思ったものです。
やがて白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」が人々の生活を飛躍的に豊かにしていきました。

あれから60年、電気は人々の生活に革命的な豊かさを齎しました。
世はまさに「オール電化」の時代になったと言っても過言ではありません。
今や電気がなければ一日たりとも、否一時たりとも生活はままならないのです。

人々はそんな「極楽生活」を享受してきましたが、その実態が主に化石燃料によるものであることを考えると、「極楽生活」は本物ではありません。
それは、かけがえのない環境を犠牲にしてきたからです。

化石燃料を使い放題使い、二酸化炭素で大気を汚染し、プラスチックで海洋を汚染し続けてきました。
その代償として今人類が直面しているのが生態系の破壊と地球温暖化です。まさに因果応報、異常気象は起こるべきして起きたのです。

人々は「極楽生活」が、地球は人類のものだというエゴによるものだったと反省していますが遅きに失しました。
反省の割には1997年の京都議定書、2015年のパリ協定から遅々として温暖化対策は進んでいません。

温暖化は人類自らが招いた自業自得の結果として受け止めるべきですが、誰もどの国も自国の利益ばかりを優先して建前論ばかりで具体的な対策が示されません。
国連の指導者達が本気で向き合っているとは思えません。

そんな大人達に大カツを入れたのが、スウェーデンの若干16歳の少女グレタ・トウンベリさんです。
23日、国連本部で開かれた「気候行動サミット」に登壇した彼女は、温暖化対策に対し、具体的な対策が進まないことへの苛立ちを露わにし、涙ながらに訴えたのです。

「30年以上前から科学ははっきり示していました。
生態系は崩壊しつつあり、私たちは絶滅の始まりにいるのにあなたたちが議論しているのはお金や経済成長というおとぎ話ばかり。よく言えたものですね。許せない。

あなたたちは目を背け続け解決策が少しも見えないのに、ここにきて『十分やってきた』とよく言えますね。
私たちの声を聞き『切迫していることも理解している』と言う。
この状況を理解しておきながら行動を起こさないのならあなたたちは『悪そのもの』です。

私はそれを信じたくないのです。
何らかの技術で問題解決できる〝フリ〟をよくできるものですね。
今日この場で数値に沿った解決策や計画は一切示されることはない。

それは、ありのままを伝えられるほどあなたたちは大人になっていないから。
あなたたちは私たちを裏切っているのです。
未来の世代の目はあなたたちに向けられています。

裏切るなら私は言います。『あなたたちを絶対に許さない』
あなたたちが好まなくても世界は目を覚まし変化が訪れています。」

一方、日本の新環境大臣小泉進次郎氏は22日、訪問先のニューヨークで海外メディアと記者会見し、独特の「小泉語」で地球温暖化対策への意気込みを語りました。
「気候変動のような大きな問題は、面白く、クールでセクシーでなければならない」と。

野党が「意味不明」などと批判していますが、誰にとってもまったくの意味不明です。
日本のこれからの若い政治家のホープとして期待されていますが、親の七光りと人気は抜群ですが政治家としての資質が問われます。

16歳の少女グレタ・トウンベリさんに「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と大カツを入れてもらいたいものです。(トランプ大統領と共に)

合掌

曹洞宗正木山西光寺