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法話

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法話--平成22年8月--

--五観の偈--

(八月は多くの寺院で施食法要が修行されます。今回は"セガキ"の法話から「五観の偈」をとりあげてみました。)

みなさんこんにちは。それにしても毎日猛暑で大変ですね。
特に今年は異常な暑さで、私等坊さんは、お盆中はホント、「ほとけ極楽坊主地獄」でしたよ。
でもなんとかサバイバルできてホットしています。

今日も猛暑の中このように大勢のみなさんのお参りを戴き実に有り難い限りでございます。
ところで、毎年この日、このように暑い中菩提寺におセガキ参りして、飽きませんか?
もちろん飽きないですよね。

なぜ飽きないのでしょうか。
それは宗教行事だからです。毎朝お仏壇にお線香を上げるのが飽きないのと同じです。 そして年齢を重ねるごとに仏様が身近に感じられていくものです。
お盆の棚経中、80歳を超えられたあるお爺さんが言っておられました。
「この歳になるとお医者さんより仏さまですよ」と。
実に含蓄のある一言だと思いませんか。

ところで、日本人女性の寿命が85.99歳で、なんと23年間世界第一位を独占しているとのことですが、たいしたものです。
こんな川柳がありました。「あの世にて待てど暮らせど来ぬ女房」
女性のみなさん。どうせいつかは往くところです。
女房のありがたさを知らしめるためにもできるだけゆっくり往ってください。

とは言え、日本の男性も平均寿命は79.19歳で世界第3位とのことですから、たいしたものですよ。
ただ最近100歳を超える高齢者が相当数行方知れずになっているようですね。
なんと坂本龍馬と同級生がまだ生きていたそうですよ。
もちろん戸籍上だけですけど。
百歳に近い方、どうか迷子にならないよう気を付けましょう。

さて、長生きは大変ありがたいことですが、病気では困ります。
こんな川柳もありました「病院の待合室は同窓会」
どうですか、病院でいつもお会いする人いませんか。

こんなコントがありました。病院の待合い室での会話です。
「このごろ○○さん見えませんがどうしたんでしょうかね」とある人が聞いたそうです。するとある人が言いました。
「なんでも病気になったらしいよ」と。
このコントの意味が??の人は隠れ脳梗塞に要注意。

さて、前置きが長くなりましたが、本日はお手元にお配りしてあります、「五観の偈」について話させて戴きたいとおもいます。
これは坊さん方が修行のなかで食事を戴く時にお唱えするお経の一部です。

本山にお参りした方であれば、食事の時に必ずお唱えしますから覚えていらっしゃる方もいるかもしれません。

食事に対する心得のお経ですが、この「五観の偈」にこそ健康と幸せの秘訣が説かれていると私は思うのです。では見ていってみましょう。

「一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。」
これから食べるこの食事はいかに多くの人のお陰でここにあるかを考えて、感謝をして頂きましょう。
自分のお金で買ったんだから当然だとか、当たり前だとかいう考えは間違いです。
いくらお金があっても人はお金を食べて生きてはいけません。
お金と食べ物はまったく関係ないことです。

「二つには己が徳行の、全欠をはかって供に応ず。」
この食事をいただくにあたり、人々や社会のための行いや功徳が自分にあるかどうかを考えていただきましょう。

達磨さんより9代目の百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という95歳まで生きられた禅師様のエピソードです。
ご高齢にも拘わらず毎日若い修行僧と同じように修行と作務をされていました。
その健康を心配されたお弟子さん方が、なんとか禅師に楽をしていただこうと考え、禅師が仕事をしないようにとの配慮から道具の一切を隠してしまったのです。

すると、その日の夕食時禅師はまったく食事に手を付けようとしませんでした。
あるお弟子さんが「何故食べられないのですか」と尋ねると、答えられました。
「一日なさざるは、一日食らわず」・・・一日の務めをしないことは一日の食事の資格はないということです。
この戒めは禅宗では金言となって今に伝わっています。
悪い言葉でいえば、タダ飯を食べるなということです。

「三つには心を防ぎ過を離るることは、貧等を宗とす。」
正しい心を護りましょう。
それには過ちを犯さない、貪(むさぼり)やねたみなどの気持ちを持たないことを心に念じましょう。

人が犯す犯罪のほとんどは「貪り」と「ねたみ」の心から起こるのです。
特に「むさぼり」の心こそ大敵です。
本日のこのおセガキの意味も、一人一人の己の心の中に潜む餓鬼の心を鎮めることが本来の目的なのです。

「四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。」
食事は単に空腹を満たすためではなく、私たちの身と心の弱まりを治す良薬であり、正しい目的をもっていただきましょう。

この部分こそ正に現世利益を説いた内容だと思います。
食事は体を護るいわば薬であるということです。この認識が極めて大事です。
薬は適量でなければいけません。みなさんよく利く薬だからといって余計に沢山呑んだりしますか。
利く薬ほど量を間違えると危険です。
食事はそれとまったく同じで適量でなければならないという認識が大事なのです。

食欲という本能は理性で制御しなければいくらでも食べられます。
美味しく楽しく食べることがあたりまえの文化になってしまいました。
毎日のテレビをみても何と料理番組の多いこと。
その中でも問題は大食い競争です。まさに食べ物に対する冒涜ですよ。
食べ物を粗末にすると罰が当たり健康を害しますよ。

そんな現代人が被っているのが食べ過ぎや、偏食からなる病気です。
特に三大病といわれるガン、心筋梗塞、脳梗塞などの原因の多くは塩分、脂肪、糖分という"余分三兄弟"の摂りすぎからです。

今栄養失調で亡くなる人などほとんどいません。
好きなものを好きなだけ食べられる豊かな時代になりましたが、そんな食生活が招いているのが生活習慣病です。
その最たるものが糖尿病です。
患者とその疑いのある人は平成19年度の調査ではなんと全国に2,210万人いると推定されています。
生活習慣病の蔓延している社会が果たして「豊か」で「幸福」な社会と言えるでしょうか。

一方食べる糧が多いということは出る残飯も多いということです。
日本で一日に53、000トンの生ゴミが出るそうです。
1200万人分の食事に当たる糧だそうです。
東京都民の食事に匹敵する食糧が日本では毎日残飯となって捨てられているのですから、実にもったいない話です。

今世界の人口は68億人といわれています。
その中でおよそ10億人が飢えに苦しんでいるといわれています。
七人に1人の割合です。
その中で毎日およそ3万人の人が飢餓で死んでいるといわれています。
一年間でなんと1000万人以上になります。
日本人は食生活について今こそ反省が必要だと言えるでしょう。

「食事は薬」だと言いました。今日私が色々話したことはどうせすぐ忘れてしまうでしょうけど、せめてこの一言は忘れないで持ち帰ってください。
この一言だけでも今日ここに来た価値はありますよ。

腹八分医者要らずと言う言葉もありますね。
私は個人的には腹六分が良いと思っています。
人間は動物です。動物はほんらい獲物を捕って生きています。
だからいつも少し空腹感があったほうがモティべーションが上がるのです。
全くの持論ですけどね。

あと、余談ですが、健康のために一番良い、取って置きの食物をご紹介しましょう。 何だと思いますか。それは納豆ですよ。
脳梗塞、心筋梗塞の原因は血栓ですね。
その血栓を溶かすのが納豆キナーゼという酵素なのです。
血栓の予防となる食物は幾つもありますが、すでに出来てしまった血栓を溶かすことができるのは今のところ食べ物では世界で納豆キナーゼという酵素しかないそうです。

老人性認知症の60パーセントは血栓が原因だそうです。
あとビタミンk2が豊富で特に骨粗鬆性の予防になるとか。
ビタミンEも多量にあって抗酸化作用があるとか。
とにかくこんな素晴らしい安くて優れた食材は他にはありません。
3パックたった100円程ですよ。一日ワンパックで十分です。

ところで今日ここに納豆屋さんいませんか?
いないようですね。もしいたら後で3パックでも届くかもしれませんね。

今年の新盆に52歳で亡くなったお父さんがいました。
あんなに元気闊達だった人がまさかという思いでした。油断大敵です。
申すまでもなく、人の幸福は何が何でも先ず健康です
どんなに財産やお金があっても健康でなければ意味がありません。
どんなに地位や名誉があっても健康でなければ幸せとはいえません。

健康には運動も大事ですが、まず基本は食生活です。食べ物が体を作るからです。
かけがえの無い体と命は健康でなければまっとうできません。
健康こそ親孝行であり、子供孝行、家族孝行、しいては社会孝行なのです。
それには自己責任が大部分なのですから強いて努めるべきです。

「五つには成道の為の故に、今この食を受く。」
この食事は仏道修行のためにいただきます。
「いただく」のは「他の命」ですから余分には頂けません。
そして「修行」のために頂くのです。
その精進と感謝のこころを忘れてはなりません。

今日の一番大事なところを最後にもう一度言います。
「食事は薬だと思っていただくこと。健康には納豆をたべること。」
これで来年の新盆の数は幾らか減るかもしれません。

合掌

曹洞宗正木山西光寺