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法話

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法話--平成31年2月--

日本人の宗教観 その5 ― 天皇 その2―

「日本人の宗教観」を考えたとき、日本人にとって天皇は特別な存在となっています。
神代の昔、天照大神によって国が生まれ、その流れは神武天皇(初代)から今の天皇に繋がっています。日本はそんな神国であると信じられてきたからです。

「古事記」によりますと、神武天皇以前を「神代(かみよ)」と言い、以後を「人世(ひとよ)」と呼んでいます。
ですから、天皇という存在は、太陽(天照大神)を中心とした「神々」と、我々(人間)の間に存在し、その2つの世界をつなぐ存在だといえるのです。

「神」とは即ち「自然」であると言い換えると分かり易いかと思います。
つまり、神武天皇は、自然界から派生した、まさに人間の代表のような位置づけであり、人間は自然と対立する関係ではなく、自然の一部の存在になるのです。

キリスト教やイスラム教などの一神教がいうところの「神」は、万物の生みの親である「創造主」を意味しますが、「天皇は神だ」という場合の「神」とは、まさに「自然」を指しているのです。

ですから、日本人にとっての神は、太陽も、山や海も、空も水も火も皆「神」の姿であるのです。
このイデオロギーは、まさに仏教の教義と一致します。

仏教もまた、太陽も、山や海も、空も水も火も皆「仏」の姿であると説きます。
まさに神=仏ということになります。
「峰の色 谷の響きも 皆ながら 吾が釈迦牟尼の 声と姿と」(道元禅師)

538年、日本に仏教が伝来し神仏習合(神仏混淆)の文化が生まれたのは極めて自然のことだったと言えるでしょう。
本地垂迹説こそまさに多神教の証です。
明治になり政治的に神仏は分離されましたが、1400年続いた信仰の文化はそう易々と変えられるものではなかったのです。

余談ですが、日立市にある御岩神社が今日本最大級のパワースポットだとして話題になっています。
188柱もの神々を祀りながら様々な仏さまや仁王門まであります。神仏習合の形を今に留めています。
特に三本杉がパワースポットの象徴として有名になり注目を集めています。

日本中には沢山のパワースポットなるものがありますが、この「パワースポット」という言葉こそ「自然は神である」という日本人の宗教観を如実に表しています。
日本人はどこでも何でも奇異な自然や物に対して畏敬の念を持つとそれを神霊と捉えるのです。その感性こそ日本人の持つ宗教観です。

自然そのものが神の権現であるという、神仏習合の証を如実に今に伝えるまさに象徴的な神社の一つがその御岩神社と言えるでしょう。
是非検索してみてください。

さて、戦後、天皇は「現人神」でないことこそ宣言されましたが、国民にとって崇敬と誇りの対象として今日に至っています。
天皇は日本人にとってまさに「日本統合の象徴」なのです。

そんな天皇に対しての韓国国会議長の発言が冷え込んだ日韓関係をさらに険悪な状況にしています。
「戦争犯罪人の息子」とか「天皇自ら謝罪しろ」とか、「日本統合の象徴」を侮辱されたことは日本人として黙っていられません。

日本の抗議に対して居直り、さらに「盗人猛々しい」などと発言したことに、日本人は皆怒りを覚えていますが、昨今の韓国の日本に対する一連の嫌がらせに対して、私は怒りを通り越し彼らに哀れ味さえ感じます。

それは、彼らが日本を侮辱すればするほど、実は韓国という自分達の国の恥を世界中に晒していることになるからです。
謙虚さや感謝、反省や客観性に欠ける国民性に哀れみを感じるのです。

利己主義と欺瞞と傲慢が国の体質となって民主主義、報道の自由、三権分立も名ばかりで体をなしていません。
なので、当然自浄能力もありません。実に嘆かわしい限りです。

特に日本に対しては異常ともいえる敵対心を燃やします。
中国と並んで徹底した反日教育をしていることは周知の通りですが、歴史を歪曲し事実認識に欠けているのは彼らの方です。
イヤ認識に欠けているのではなく、事実を承知の上で行っている「確信犯」ですから実に困ったものです。

実は、世界で植民地化された国家の中で、韓国と台湾ほど発展した国家はないのです。
「韓国併合」と言われるものの本質は、日本の朝鮮植民地化ではなく、日韓の「合併」だったのです。
合併とは支配ではなく同化です。

戦後の朝鮮人はよく、「日帝の植民地略奪」を強調し、朝鮮では台湾以上に過酷な統治が行われたといいますが、事実はまったくその逆だったのです。
「合併」の意図するところは、朝鮮を日本と同じような国家に発展させることでした。

朝鮮では台湾よりも地租が安く、産米も逆ザヤ制度が取られ、地下資源の経営も中央政府からの補填で支えられ、資本投資も行われインフラも格段に整備され、それまで糞尿だらけで世界一不潔な都市といわれていた京城(現ソウル)など、美しい近代的な街に変貌していったのです。

普通の近代国家なら、国民が国防費を賄うのが義務であり常識ですが、朝鮮人からは一銭たりとも徴収しないという特別待遇だったのです。
二十世紀の人類史において、当時の朝鮮人ほど過保護を受けて幸福に暮らした民族はないのです。

実際、韓国の経済発展のため日本は金銭的技術的支援を行ない、ハングル教育を奨励したり、朝鮮人を一等国民として扱ったのです。
台湾と同じように統治したにも拘わらず、台湾とは真逆な大反日国家となってしまったのです。何という因果でしょう。

「日本の朝鮮統治を検証する」という本を二人のアメリカ人が出しました。
あくまでも史実に基づき、可能な限り客観的にこれを検証したのです。
日本の統治政策が「当時としては驚くほど現実的、穏健かつ公平で、日韓双方の手を携えた発展を意図した」ものであると記されています。

朝鮮の近代化に貢献し、戦後韓国の奇跡的な発展に繋がったことを明らかにしています。
今のナショナリズムに偏した一面的な歴史認識に180度の修正を迫る第一級の研究書だと紹介されています。

もう一冊、「日本統治時代を肯定的に理解する」というタイトルの韓国の一知識人の回想録本です。
京城(現ソウル)で生まれ、終生韓国の民主化を追求し続けた一人の知識人が、20歳で終戦を迎えるまでの日本統治下での青春の日々を回想したものです。

開明的な祖父や学生時代の恩師の思い出とともに、創氏改名、独立運動の実際を、驚くほど率直、公正な筆で綴っています。
そこから浮かび上がってくるのは、現代化し始めた京城の、おっとりした街の佇まいのなかで営まれる穏やかな日常です。

それは「虐政を施された植民地朝鮮」という一般通念から想起される光景とはかけ離れたものです。
戦後教育によってつくられた、日韓合併に対する一面的な見方を克服し、肯定的側面を直視することこそ、真の日韓親善に繋がると信じて書き遺された渾身の一冊です。

日本は韓国から恩義こそ受けても怨みを受ける筋合いはないのです。
ましてや「日本統合の象徴」である天皇を侮辱されるということは、国民にとって日本の尊厳が傷つけられた思いになります。

寛容な日本人にも限界があります。
日本に対して理不尽な嫌がらせを続けることは自らの首を絞めることになります。
韓国には是非良識ある理念と矜持を持ってもらいたいものです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺