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法話

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法話--平成25年1月--

四諦(その1)--法灯明--

新年明けましておめでとうございます。
当山のホームページを御覧いただいております諸兄善男善女各位のご多幸を祈念申し上げます。

お陰様で、当山のホームページも早9年目を迎えることができました。
まずは今年一年を頑張って参りたいと思っています。よろしくお願い致します。

さて、前回で「13仏シリーズ」を終えた訳ですが、拙僧の持論・愚論を通して諸仏の役割について些かなりとも学んで頂けたでしょうか。
これからは仏教の基本理念となっている「四諦」(したい)について学んでいきたいと思います。

仏教の最大の特徴はなんといってもその絶対的理念の「法」にあります。
その基本こそ「四諦」ですが、その前にまず釈尊にとって「法」の位置づけはどこあったのか、釈尊と法の関係とはどんなものかについて考えてみましょう。

宗教といえば、一般的にはなにか神や偉いカリスマ教祖を崇め奉り、その力にすがったりするもののように考えられていますが、実は仏教はそうではなかったのです。
仏教は釈尊を個人崇拝する宗教ではなかったのです。

イヤ、確かに、現代の日本の仏教といえば仏さまを神格化したような現世利益を祈願とした信仰が主流を占めていると言えます。その現実は否めません。
しかし、釈尊の教えを改めて検証してみると実はそうではなかったことが分かります。

それを今回は「自灯明、法灯明」の中から検証してみましょう。
釈尊は仏教の教祖ではありますが、自分(釈尊)を依りどころにすべきではないと明言されています。
その意味はきわめて重要であり、ここに釈尊の真意が窺われます。

釈尊晩年のことです。
釈尊は重い病気にかかり、病苦を忍び、やがて回復されました。
弟子の阿難は釈尊の回復をたいそう喜びましたが、これから先いつか釈尊が入滅されてもおかしくないことを悟り心配されました。

「世尊よ、よくなられてほんとうによろしゅうございました。
世尊の病が重く、お体もやつれたもう時には、私は四方が暗くなったように思われました。
だが、世尊は、まだ僧伽(教団)のことについてなにか御遺言のないうちは、亡くなられるはずはない。と思ったとき、ふと安堵することができました。」

阿難は、世尊が、その死に先だって、この教団の後嗣を指名するであろうことを含め期待したのですが、釈尊は、その期待があやまりであることを伝えました。

「阿難よ、その期待は間違っている。
私はすでにあらゆる角度から法を説きつくした。
わたしの教えには、弟子に隠して握りしめているような秘密はない。

また、阿難よ、わたしは、わたしがこの教団の指導者であるとか、比丘たちはみんなわたしに頼っているとか、思ってはいない。
だから、わたしがこの教団のあとつぎなどを指名するはずはないではないか。

だから阿難よ、汝らは、ただ、自らを洲(しま)とし、自らを拠りどころとして、他人を拠りどころとすることなく、法を洲とし、法を拠りどころとして、他を依りどころとすることなかれというのである。
他を依りどころとすることなき者こそ、わが教団のなかにおいて最高処にあるものである。」

釈尊は「わたしの教えには、弟子に隠して握りしめているような秘密はない。」と述べられましたが、この意味は重要です。

世間にはよく、師匠が最後まで秘密にしている大切な部分があったり、気に入った弟子のみに伝授するいわば奥義なるものがあったりしますが、釈尊はそれをまったく否定されたのです。

そして、「自分自身を拠りどころとして、他人を拠りどころとすることなく、法を拠りどころとして、他を依りどころとすることなかれ」と教示されたのです。

この言葉にこそ釈尊の実直な思いが込められていると拙僧は考えるのです。
何千人という弟子と何万人という信者を抱えた一大宗教の教祖である釈尊が、「わたしを頼ってはならない」「頼るのは己自身と法だけで、他のものは一切頼ってはならない」と明言されたのです。

この「自帰依」「法帰依」の教えは特に釈尊晩年には繰り返えされたようです。
そのもう一つをご紹介しましょう。

舎利弗と目連といえば釈尊が最も頼りにしていた弟子のうちの2人です。
しばしば教典には「一双の上首」(いっそうのじょうしゅ)と称せられていますが、その二人が師に先立って相次いで逝かれてしまいました。

晩年の釈尊にとって、このうえない痛手でした。
ある夕べのこと、布薩の儀式に出席されました。
「比丘たちよ、サーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目連)が逝ってからこのかた、この集会は、わたしにはまるで空虚になってしまった。
あの二人の顔が見えない集会は、わたしには淋しくてたまらない。
・・・中略・・・
だが、比丘たちよ、この世に存するものは、なに一つとして、たれ一人として、いつまでも移ろわぬものとては、あり得ないのが道理であった。
・・・中略・・・
かの二人は、わたしに先だっていった。この世に、うつろわざるものは、あり得ないからである。
・・・中略・・・
されば、比丘たちよ、わたしは汝らに言う。『みずからを洲とし、みずからを依りどころとして、他人を依りどころとしてはならぬ。法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ』」と。

弟子達にしてみれば、釈尊あっての教団であり仏教なのです。
それを頼るなと言われ、さらに、教団の後継者を指名することもしないということは一体どういうことでしょうか。教団には相当な戸惑いと困惑が走ったことでしょう。

しかしその意図は、敢えて教団を突き放すことで釈尊は仏教の本道を守ろうとされたのだろうと考えるのです。
つまり、仏教の本道が絶対の「法」であり、決して個人崇拝に陥ってならないことを示されたのです。

確かに釈尊は仏教の開祖ですが、御自身にしてみれば、自分は宇宙の真理の「法」の発見者に過ぎず、「法」の仲介者に過ぎないという自覚と、その正法を後世に伝えていく強い使命感からの発露だったのでしょう。

個人崇拝は個人を絶対の存在に祀りあげます。
人は「祀られる」ことで不合理の存在となります。それはつまり神を意味します。
神は実体のない存在であり、人が神になること自体不合理なことです。
だから人は神にはなれないのです。

しかし、仏は違います。仏には実体があります。それを「仏性」といいます。
仏性こそ仏の実体です。「一切衆生、悉有仏性」だから人は仏になれるのです。
「悉有仏性」とは没個性の存在ですから、個人崇拝になってはならないのです。

釈尊が個人崇拝を否定されたのは、仏陀は神ではないことを示されたのです。
釈尊は、人はみな「本来本法性、天然自性身」だから、悟れば誰でも仏になれることを証明されたのです。
この事実こそ仏教の根本教理なのです。

仏教で仏陀を崇拝するのは、それは神としてではなく、自分自身の理想像として、自分も仏になれることを願って崇拝するのです。
これが仏教の本筋なのです。
この処がちょっと難しいかもしれませんが、この認識こそがあってこそ釈尊が後継者という「人」(個人)にこだわらなかったことが理解できるのです。

つまり、仏教の崇める対象は「個人」ではなく「仏・法・僧」なのです。
仏・法・僧を三宝と言いますが、文字通りこれらはまさに三つの「宝」であり、三位一体なのです。だから仏教徒はまず初めに三宝に帰依することから始まるのです。

釈尊は「自灯明、法灯明」をとおして、仏教が決して個人崇拝に陥ってはならないこと、「法」こそ絶対の依りどころであることを示されたのです。

宗教というと、とかく無条件で教祖を奉りその教えを受け入れる節がありますが、釈尊はそれらを「外道」(げどう)と呼んでおられます。
しばらく前にも拙僧は述べましたが、仏教は真理に即した「超科学」の教えなのです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺