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法話

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法話--平成22年11月--

十大弟子(羅睺羅尊者)--四苦--

今回は羅睺羅(ラゴラ)尊者のお話です。

羅睺羅(ラゴラ、あるいはラーフラ)は、釈尊の実子であり、密行第一と称されました。
釈尊は16歳で結婚されましたが、なかなか子宝に恵まれず、27歳になったとき妻のヤショーダラ姫との間にようやく授かったのが一人息子、羅睺羅でした。

釈尊が出家する2年前のことでした。
おそらく釈尊はこれで釈迦族の跡継ぎができたと安心されたのかもしれません。
しかしこれには異説があり、妃が身ごもられたのを知ってすぐに出家されたという説もあります。

また、羅睺羅が生まれたのはお釈迦さまがお悟りを開かれた日だったという説もあります。
そうだとすると羅睺羅は六年もの間、母の胎内にいたということになります。
「羅睺羅は顔は似ていないしお釈迦さまの息子ではない」などという不名誉な噂まで出たようです。
実際彼の顔は釈尊に似ておらずかなり不細工だったようです。

そんな噂を聞いた羅睺羅は「顔は不細工でも私の心は仏である」と言って胸を開けて見せたという。
この話は彼が信仰の対象として人気があった中国唐の時代の逸話だと言われていますが、十六羅漢信仰はその時代に生まれたものであり、十大弟子の中で只一人羅睺羅だけが十六羅漢に選ばれたことからも彼の中国での人気の程が窺われます。

出生の次第はともかく、釈尊自身が否定しているわけでもありませんから羅睺羅は間違いなく釈尊の実子なのです。
彼は父親のいないカピラ城で王子として何不自由なく素直に育てられました。

羅睺羅が九歳になった時のことです。
釈尊が久しぶりに帰城することになったのです。それを知った城の重臣たちが、幼い羅睺羅に入れ智慧をしたのです。

「お父上に頼んで、お城や財宝を息子に譲るという証文を書いてもらいなさい」という内容でした。
それは、カピラ城主の権利は事実上釈尊にあったことから教団に城を乗っ取られるのではないかと重臣達が心配したのです。

「わたしは王になろうと思います。どうぞ財産を下さい。お宝をお与えください。」と言いながらすがりつく幼い羅睺羅に釈尊はびっくりしてしまいました。

ことの重大さを知った釈尊は、舎利弗と目蓮を呼んで羅睺羅をニグローダの林に連れてゆき、羅睺羅を出家させてしまったのです。
「お前には金銀財宝ではなく、私が修行をして得た真理の仏法という財産を継がせてあげよう」と釈尊は申されたのです。

年少のころは釈尊の実子ということもあり、特別扱いを受け慢心が強く、釈尊より戒められたこともあったようです。
20歳で具足戒を受け比丘になってからは舎利弗に就いて修行を重ね不言実行を以て密行を全うし、ついには密行第一と称せられるようになったのです。

密行とは戒律を遵守し特に密教での修行を徹底することです。
そんな厳しい修行に耐え、ついに彼は阿羅漢果を得えたのです。
十六羅漢に選ばれたことなどを考えれば実に人間味あふれるドラマチックな人生を送った人だったようです。

羅睺羅

「世尊よ、四苦とはどんなことをいうのでしょうか」

世尊

「四苦とは、生・老・病・死の四つの苦しみのことである。人間として生まれた者ならば誰しもが味わねばならない苦しみの基本であるのだ」

羅睺羅

「世尊よ、確かに老・病・死は苦しみであることは理解できるのですが、どうして『生』(しょう)が苦しみなのでしょうか。
ふつう、生まれることは目出度いことであっても、特には苦しみと感じられないのですが?」

世尊

「確かに、生まれることは目出度いことであり、極上の慶びである。
目出度いことや慶びが"苦"であるということは矛盾した論理であるが、問題はその本質にあるのである。
生まれるということはその瞬間から五蘊(ごうん)を得ることになる。
その五蘊の本質が即ち"苦"の実体だということである」

羅睺羅

「五蘊についてお示しください」

世尊

「五蘊とは五つの集まりで色・受・想・行・識を言う。
「色」とは形あるもの。
あとの「受・想・行・識」は「心」の世界を意味し、
「受」は、感覚とか知覚などの感受作用。
「想」は、「受」で受けたものを心の中で思うこと。
「行」は、思いを意志にすること。
「識」は、判断である」

羅睺羅

「つまり、肉体と魂という存在自体が"苦"だということですね。
世尊が提唱されております『五蘊皆空度一切苦厄』(般若心経)の意味がやっとわかりました。
肉体も魂も一切が皆『空』であるということを悟ってはじめて『苦』から解放されるわけですね」

世尊

「その通りだ。人間として生まれた以上自己が『一切皆苦』の存在だと認識し、その『苦』から解放されるために我々は修行をするのである。
その修行が萬行に至った時に苦から解脱できるのである。
解脱の世界が涅槃であり、極楽浄土なのである」

羅睺羅

「よくわかりました。では、世尊が初めて"苦"を意識されたいきさつをお話頂けますでしょうか」

世尊

「実は、わたしが出家の道を選んだ根本的理由はこれら『四苦』にあったのだ。
わたしが生まれてわずか七日目に母マーヤーは亡くなってしまったということを叔母より聞いて『人はなぜ死ななければならないのだろう』という大きな疑問にぶつかったのだ」

羅睺羅

「後に『四門出遊』という形でお述べになっておられますね。
東門から出て老人に遭い、南門から出て病人に遭い、西門から出て死人に出遭ってショックを受けられたお話ですね」

世尊

「そうだ。最後に北の城門から出たときに出遭ったのが一人の修行者だった。着ている服はぼろぼろだし、身は痩せ細ってはいたが、顔は生き生きとしていた。わたしのように恵まれている者が苦しんでいるのに、貧しいあの者が何故あのように希望に満ちているのだろうと思ったのだ。
『あなたは何をする人か』と尋ねたら、『修行者で、衆生に慈悲を施す者です』と答えられたのだ。
それ以来"修行者〟ということが頭を離れなくなってしまい、ついに出家を決断した次第なのだ」

羅睺羅

「つまり"四苦〟の疑問の答えを求め出家されたわけですね」

世尊

「その他に『愛別離苦』(愛する者と別れる苦しみ)、『怨憎会苦』(いやなものと付き合う苦しみ)、『求不得苦』(欲しいものが手に入らない苦しみ)、『五蘊盛苦』(体と心の不調の苦しみ)の四つを加えて『四苦八苦』と言う」

羅睺羅

「人の幸せはまさにこれらの苦しみをいかに克服するかに掛かっているのですね。その道筋を世尊は八万四千の法門で教示されているわけですね」

「四門出遊」(しもんしゅつゆう)の話は有名ですが、むろん、これは伝説です。
若き王子ゴータマ・シッダールタの苦悩を象徴的に表現したものと言えるでしょう。

幼いころから王子として贅の限りをつくした環境の中で名誉と冨と権力を自在にできたのです。
しかしどんなに享楽と贅沢の限りを尽くしても彼の心は満たされなかったのです。

それは、どんな権力・名誉・富であろうと生・老・病・死の四つの苦しみから逃れることができないことを知ったからです。
その答えを求めて出家を決断し城門を出たのです。時に王子29歳のことでした。

難行、苦行を経て、ついに悟りを開かれ「四苦」の実体を解明され、一切の「苦」から解放されたのです。その表現が「極楽」であり「大安心」なのです。
ですから「極楽」は実在するのです。

「極楽」は死んでからだけの世界ではありません。
生きている内にこそ意味があるのです。
なぜなら仏教は決して死後の教えではないからです。

今現在から死ぬまでの間、もちろん死後も含めて、「安心」して生きて行くための「教え」を釈尊は残されたのです。

合掌

曹洞宗正木山西光寺