8月のメイン行事はなんと言ってもお盆です。
ふだんご無沙汰しているご先祖さまへの想いを新たにする時期です。
当山でも毎年8月に入ると、5日のお施餓鬼会から13日から15日までの棚経、そして24日の地蔵供養会まで多忙を極めます。
特に今年は例年にない猛暑が続き大変な"難行苦行"を強いられました。
まさに「ほとけ極楽、坊主地獄」でした。
でも、これからやっと我等坊さんの"お盆休み"となるわけで、正直今が一番ホットする時期かもしれません。
ただ拙僧の場合、この「法話8月分」のノルマを終らせないうちはその楽しみは"お預け"といったところです。あと一踏ん張り、かんばりま~す。
さて、お盆を迎えますと、仏教徒はみな一様にご先祖さまへの敬虔な想いに浸ります。
どんな人でもご先祖さまに心からの敬意と報恩感謝の念を抱き、素直な心でお仏壇に向います。
合掌すれば誰でも即身成仏の仏さまになれるのです。
迎え火を焚き、提灯に火を灯し家族でお墓参りをする時に怒りながら行く人はいません。
貪欲の気持ちで行く人もいません。
妬み嫉みの気持ちで行く人もいません。
どんな人でも素直な心、仏心にたち返るのです。
お盆にはそんな功徳が頂けるのです。
このお盆にお寺にお参りに見えたあるおばあさんのお話です。
「うちの外孫でよく遊びにきますが、来ると必ずお仏壇に行ってお線香をあげてくれるんですよ。
玄関入ると先ずお仏壇に向かいお線香を立てて鐘を叩いて手を合わせるんです。
帰る時も必ず同じように仏壇に挨拶してから帰るんですよ。」
そう嬉しそうに話すのを聞いて拙僧はなぜか大変感激してしまいました。
中学三年生の男の子だそうですが、誰が教えた訳でもないとのこと。率先してお墓参りもするそうです。
まさに本人の感性であり、実に尊く有難いことだと感銘しました。
その"習慣"は彼のおじいさんが亡くなった時以来もう五年も続いているとのこと。
おばあさんはうれしくてその度毎お小遣いのつもりで五百円をこっそり貯金箱に貯めているとのこと。
そのお金がもうすでに10万円程にもなっていて、何かのお祝いで彼にあげるつもりでいるとのこと。
実に微笑ましい話ではないでしょうか。
そんなちょっとしたエピソードに拙僧かなり感激してしまいました。
以上、真心には真心が返ってくるという、まさに現世利益ならぬ"現金利益"とも言える、ほんのささやかな功徳の実例でした。
さて、本題の「病」に話を移しましょう。
前回、病気は人生最大の苦悩であり幸福への最大の障害であるといいました。
たしかに病気さえなければ人生万々歳だと言っても過言ではありません。
そこで今回からその「病気にならない生き方」について学んでみたいと思います。
ここに一冊の本があります。そのタイトルは、ものズバリの「病気にならない生き方」です。
2005年に刊行されミリオンセラーとなり、大きな話題を呼びました。
その著者こそ、米国ナンバーワンの胃腸内視鏡外科医でありこの分野の世界的権威、新谷弘美(しんやひろみ)医師です。
世界で初めて、新谷式と呼ばれる大腸内視鏡手術を開発し、日米でおよそ30万例以上の検査と9万例以上のポリープ切除を行ってきたまさに胃腸内視鏡学のパイオニアであり権威です。現在アルバート、アインシュタイン医科大学外科教授およびベス・イスラエル病院内視鏡部長としてご活躍中です。
これから、その先生の提唱される、35年間に亘る膨大な臨床結果に基づいた健康学の数々をご紹介したいと思います。
先生の信条は、「この世のすべてを包んでいる自然の摂理に反すると人間は病気になる」というものです。
私たち人間も自然の一部です。
その"自然の一部"が健康に生きるには、自然の摂理に身をゆだねなければならないというのです。
自然の摂理に身をゆだねるというのは、自らに備わった「命のシナリオ」に耳を傾けるということです。
病気になるのは、命のシナリオを無視しているからです。
自然の摂理に立ち返り、命のシナリオに耳を傾け、自らに備わった自然治癒力を目覚めさせ、命を養っていく生き方こそ"病気にならない生き方"なのです。
たとえば、野生の動物たちには、生活習慣病といえるような病気はほとんど見あたりません。
それは彼らが自然の摂理に則った生活を送っているからです。
命というのは本来、健康に寿命をまっとうできるような仕組みをもっているのです。
初めから病気になることが運命づけられている命などないのです。
不幸にして先天的な疾患をもって生まれてくる命もありますが、それは命の発生段階において、遺伝的もしくは環境的に何らかの悪影響があったためと考えられます。
この世に原因のない結果は存在しません。
原因不明の先天的疾患も原因がないのではなく原因がまだわかっていないというだけのことです。
命は健康に生きるために必要な「シナリオ」をもって生まれてくるのです。
動物たちは、その「命のシナリオ」を本能的に知っていて、それに従って生きているだけなのです。
たとえば、肉食動物の歯と草食動物の歯が違うのは、あなたたちの食べ物はこうゆうものですよ、という自然の摂理の表れにほかなりません。
私たち人間の歯並びにも、そうした自然の摂理はちゃんと組み込まれているのです。
人間もちゃんとそんな「命のシナリオ」をもっているのです。
ところが、万物の霊長といわれる人間は知恵を活かし、豊かな知識もとによりよい生活を求め続けたのです。
「よりよい生活」、それこそ欲に根ざしたものです。
これまで人間が培ってきた文化は、ある意味「欲」の文化にほかなりません。
もっと便利に、もっと豊に、もっと美味しいものをという欲望は、添加物や農薬を作り出し、環境破壊をしてきました。
すべては人間の「欲」からです。
欲望は人間を傲慢な存在に仕立て上げました。
ほかのどの動物よりも自分たちは高等な生き物だと思い込み、人間を取り巻くすべての存在は人間のためにあると思い込み、神より与えられた恩寵を取り違え、「自然の摂理」の範疇を越えてしまったのです。
「人間も自然の一部」だと言いました。
自然の摂理に反した生き方の中に健康は存在しません。
それを無視した結果が人間特有の病気を招いてしまっているのです。
今の人間社会は、そうした自分たちの拡大させ続けてきた「欲」と「便利さ」の代償を、まさに病気というかたちで支払っているとも言えるのです。
おいしければいい、楽しければいい、ラクならいい、そんな刹那的な生き方の一つひとつが貴重な「命のシナリオ」に反したものになっているのです。
健康に生きる術は全て、私たち一人ひとりの「命のシナリオ」に則ったものでなければならないのです。
自然の摂理を見れば、今の私たちに何が必要で何が余分な物かがわかります。
自然の摂理を謙虚に受けとめず、「命のシナリオ」に逆らった生活から生まれたのがまさに「生活習慣病」です。
健康に良くないことと知りながら止められない人、良いことと知っていても実行に移せない人、そんな人の多くが罹る病が生活習慣病です。
新谷先生はあえて厳しい表現で、それを「自己管理欠陥病」と呼んでいます。
大切なことは先ず正しいことを知って、そして行動にうつすことです。
そんな先生の提唱する、健康にとって正しいこと、「病気にならない生き方」について更に学んでみましょう。
合掌