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法話

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法話--令和3年7月--

太平洋戦争の真実 その14 ―パール判事 ―

東京裁判で日本は、昭和6年の満州事変から昭和12年の盧溝橋事件を経て日中戦争に突入し、昭和16年の真珠湾攻撃の日米開戦、そして20年の原爆投下、終戦に到るまでのプロセスを侵略戦争と判定されました。

パール判事参加した判事のなかで唯一インドのラダビノート・パール判事だけが、日本は国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けてくれたことは前回お伝えしましたが、 今回はそのパール判事の日本に対しての憂慮と激励の言葉をご紹介しましょう。

パール博士は、戦後日本の教育が東京裁判史観に立って、日本は侵略の暴挙を犯して、国際的犯罪を犯したなどと教えていることを大変憂いていました。
まさにこの時の博士の予言通り、東京裁判史観は70後の現代の日本にいまだ深いキズ跡を残しています。

パール博士は、日本に来てみて日本の評論家やジャーナリストや法律家が東京裁判に対する法律的論争や、戦犯の法的根拠、東京裁判で裁いた平和に対する罪、人道に対する罪は、国際法とどう関連するのか、日本に侵略的意図があったのかなかったのか、そうした問題についてあまりにも無関心、もしくは不勉強な状況に対して義憤を覚えたようです。

その義憤は、日本人の真理探求の精神に欠けている点に対してでした。
長いものには巻かれろ、強いものには屈服せよという、しみったれた根性に対する義憤でした。

パール博士によりますと、日本の外務省は、わざわざ丁寧に英文パンフレットまで出して、日本の「罪悪」を謝罪し、東京裁判のお礼まで述べている、東洋的謙譲の美徳もここまでくると情けなくなる。
なぜ正しいことは正しいと言えないのか、間違っていることをどうして間違っていると指摘できないのか、とパール博士は歎かれました。

パール博士は、原爆慰霊碑に献花され黙とうを捧げられました。
その碑に刻まれた文字に目を止められ、通訳に何が書いてあるのかと聞かれました。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」

博士は、2度3度確かめられ、その意味を理解するにつれ、その表情は厳しくなったのです。
「この『過ちは繰り返さぬ』という過ちは誰の行為をさしているのですか。もちろん日本人が日本人に謝っていることは明らかです。
それがどんな過ちなのか、私は疑います。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明白です。

落とした者が責任の所在を明らかにして『二渡と再びこの過ちは犯さぬ』というならうなずけますが、この過ちが、もし大東亜戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではありません。
その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることは明らかです。」

このことが新聞に大きく報じられ、後日この碑文の責任者である当時の浜井信三広島市長とパール博士との対談にまで発展したのです。

この後博士は、「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。 東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」と嘆かれました。

1952年11月6日、パール博士は広島高等裁判所における歓迎レセプションに臨まれ、「子孫のために歴史を明確にせよ」と次のように講演されました。

「ドイツのニュルンベルク軍事裁判は、裁判が終わって3ヶ月目に裁判の全貌を明らかにし判決理由とその内容を発表しました。しかし、東京裁判は判決が終わって4年になるのにその発表がありません。

私は、その無罪の理由と証拠を詳細に説明しました。しかるに、他の判事らは有罪の理由も証拠も何ら明確にしていません。おそらく明確にできないのではないか。 だから東京裁判の全貌はいまだに発表されないのです。 これでは感情によって裁いたと言われても何ら抗弁できません。

東京裁判の全貌が明らかにされない以上、後世の歴史家はいずれが真なりやと迷うでありましょう。歴史を明確にする時が来たのです。そのためには東京裁判の全貌が明らかにされなくてはなりません。これは日本人が子孫に負うところの義務なんです。

日本人はこの裁判の正体を正しく受け止め、批判をして、彼らの戦時謀略に誤魔化されてはなりません。日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚に陥ることは民族自尊の精神を失うものである。」

そして博士は一段と語気を強められました。

「要するに欧米は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史に留めることによって、自らアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去18年間のすべてを罪悪であると烙印し、罪の意識を日本人の心に植え付けることが目的であったに違いありません。

私は1928年から45年までの18年間の歴史を2年8ヶ月にわたって調べました。各方面の貴重な資料を集めて研究しました。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もあります。

それを私は判決文の中に綴りました。この私の歴史を読めば欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずです。しかるに、日本の多くの知識人はほとんどそれを読んでいません。

そして自らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えています。満州事変から大東亜戦争勃発に到る事実の歴史をどうか私の判決文の中を通して十分研究していただきたいのです。

日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈頽廃に流されてゆくのを私は見過ごして平然たるわけにはいきません。彼らの戦争宣伝の欺瞞を払拭してください。 誤った歴史は書き換えなければなりません。」

自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は強大国に迎合する。
卑屈なる植民地民族に転落する。
日本よ! 日本人は連合国から与えられた「戦犯」の観念を頭から一掃せよ。 と、博士は繰り返し繰り返し強調されたのです。

日本が敗戦で自信を失い、思想的にも文化的にも日本人のアイデンティティーを失っていた時代に、パール博士の言葉はどれほど日本人に勇気を与えてくれたことか、私たちは決してこの恩義を忘れてはなりません。

最後に有名なパール判事判決文の格調高い素晴らしい結びを紹介します。

「時が、熱狂と偏見を和らげたあかつきには、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取ったあかつきには、その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くにその所を変えることを要求するであろう。」

京都東山の護国神社に幕末の志士、明治維新の元勲らの墓碑や先の大戦の慰霊碑が数多く並ぶなかパール博士の顕彰碑があります。

過去の一切が誤りという罪悪感、戦後の日本の言論空間に、もやのようにかかり続けるいわゆる自虐的論調、今こそ博士の言葉の数々をかみしめる時ではないでしょうか。
戦後の日本人よ、もういい加減に自虐的迷妄から醒めましょうよ。

合掌

曹洞宗正木山西光寺